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〈それぞれの四季〉地獄を生き抜いた裵奉奇ハルモニ/ぱんちょんじゃ

1976年、裵奉奇ハルモニは沖縄・渡嘉敷島の慰安所で過酷な性奴隷生活を強いられた過去をメディアを通じて告発した。沖縄戦が勃発すると戦火の中を日本軍とともに逃げまどい、生き延びた。戦争が終わり解放を迎えたはずが新たな地獄が待っていた。

米軍収容所を出た後は行き場もお金もなく、風呂敷包みひとつ抱え、一夜の寝床と食を求めて歩き続け、飲み屋で酔客の相手をすることで飢えをしのいだ。「『慰安所』生活より辛かった」という言葉はあまりに衝撃的だ。生まれた時から家はなく、あちこちに奉公へ出され、ミンミョヌリ(生娘の嫁)となる。

PTSDに苦しみ、人に会うのも避けていたが、名のり出を契機に総聯の金洙燮さん、金賢玉さん夫婦と出会ったことで心安らぐ時間を得、生来の明るさも見せた。川田文子さんらによって当時の実態を示す貴重な証言を多数残したことは、自らの尊厳を取り戻す過程でもあった。日本の敗戦を悔しがったハルモニが、裕仁天皇の死に「謝りもせんで」と憤った。

ようやく社会がこの問題に目を向け始めた1991年10月、金学順ハルモニと入れ替わるかのように旅立たれたハルモニ。享年78歳。祖国に帰りたいと号泣し「夢で故郷に帰っても家がないので、石の上に座っていた」と話したハルモニはいま故郷に眠る。

金洙燮さんの訃報を聞き、今頃は再会を果たされているだろうかと想像してみる。

(大阪市在住、日本軍「慰安婦」問題・関西ネット共同代表)