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〈取材ノート〉3.1独立運動と無償化

2019年03月20日 16:30 コラム

“私たち朝鮮人は、もう遅れた思想となっていたはずの侵略主義や強権主義の犠牲となって初めて異民族の支配を受けることとなった…他人を怖がらせたり、攻撃したりするのではなく、自ら信じるところに従って、私たちは自らの新しい運命を切り開こうとするのである”

1919年3月1日、ソウル・パゴダ公園で朗読された独立宣言。自由と独立を求めた朝鮮民衆が込めたのは、平和への渇望、排他主義への強い戒めだった。

“この拳は、正義、人道、生存、身分が保障され、栄えていくための民族的要求、すなわち自由の精神を発揮するものであって、決して排他的感情にそれてはならない”

民族自主を掲げ、東アジアの「新たな友好」を模索した先人の精神を、100年後の今日、朝鮮学校の生徒の中に見る。

5カ所で行われた無償化裁判。14日、不当判決を受け、福岡地裁前で泣き崩れた生徒が後の集会で語ったのは「希望」だった。「民族教育を守るための闘いを次は私たちが継いでいく」。

民族の自主性を育む学び舎を否定する「官製ヘイト」、勢いを増すヘイトデモ。

変わらない日本の植民地主義的本質を突きつけられてもなお、日本社会と向き合い、自らの姿で共感と連帯の輪を広げてきた生徒たち。

その姿は、世代を超え息づく民族自主と寛容の精神こそが、東アジアの平和と植民地主義の克服に繋がる道筋なのだと教えてくれる。

(宥)

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