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【対談】朝・日友好親善への思い/京都の運動

2018年12月25日 22:25 主要ニュース

“どんな時も揺るぎない信念で”、“子どもたちの笑顔咲く社会を”

同胞社会に対する差別と偏見が根強い中、朝・日連帯は困難を乗り越えていくうえでの大きな力となる。京都では長年さまざまな分野で朝・日が手を携え、権利獲得、友好親善を目指す運動が繰り広げられてきた。対外事業に尽力してきた総聯本部常任委員の柴松枝さん(76)、「朝鮮学校と民族教育の発展をめざす会・京滋『こっぽんおり』」事務局長、「文化・学術・市民交流を促進する日朝友好京都ネット」幹事のさとう大さん(39)は、歴史の転換期である今こそ朝・日が一丸となることが重要だと話す。(李永徳)

Q. 過去にどのような交流、運動が行われてきたのか。

:全盛期は90年代。今では信じられないかもしれないが、94年の「第1回日朝友好清水寺祝祭」には朝・日の仏教関係者が多数参加して、朝高生や青年たちが担ぐ神輿に朝鮮仏教徒連盟委員長が乗り、清水寺門前町を練り歩いた。国立平壌芸術団の京都公演(90年)は大盛況で、93年には平壌中央動物園から京都市動物園へチョウセントラが贈られたことも。98年の「朝・日友好98KYOTOイオ・フェスティバル」を控えて朝鮮の人工衛星が打ち上げられ時は、開催が懸念されたが当日は2万余人の参加者で大いに賑わった。

「朝鮮学校と民族教育の発展をめざす会・京滋」事務局長・さとう大さん

さとう:その翌年に入学した京都大学では朝鮮学校出身者の大学受験資格を求める運動(民受連)が盛んだった。自分自身、平等な受験競争の末に入学したと思っていたが、日本社会は平等ではなかった。「差別が許される社会」を変えなくては、との思いで運動に身を投じるように。「民族学校を考える会」(96年結成)をはじめ多くの人々による地道な努力の末、京大は2003年7月に民族学校に通う生徒の受験資格を認めた。国立大では初めての出来事だった。

:民族教育権に関して言えば、「朝鮮学校を支える会・京滋」の発足(06年4月)は大きな意義を持っていた。それまでは朝鮮学校問題を活動の中心に据えた団体が存在しなかったからだ。

発足にあたって中心となった人物は、大学受験資格の運動に積極的に携わった日朝友好促進京都婦人会議の代表、末本雛子さん。市議会議員だった亡き夫とともに朝・日友好活動に生涯を捧げ、朝鮮学校への多額の寄付だけでなく学校を訪れては子どもたちを実の孫のように可愛がってくれた。

さとう:先輩たちから継承した精神は「朝鮮学校の子どもたちの笑顔が咲く社会こそが、日本人にとっても豊かな社会」であるということ。だからこそ2009年12月、在特会らの朝鮮学校襲撃事件によって子どもたちが心に深い傷を負った時は、レイシストたちを「他者」とは見られなかった。

「京都朝鮮学校襲撃事件裁判を支援する会」(こるむ)事務局であった私にとって、裁判闘争は日本社会の現状変革であり、民族教育の息吹の発信主体となることだった。

Q. 2014年12月に歴史的な勝訴判決を勝ち取った。

:勝訴の要因は3つあると考えている。

総聯京都府本部常任委員・柴松枝さん

一つ目は、闘いの主体である同胞、保護者、関係者、そして私たちの心情と民族教育の権利を主張してくれた98人の弁護士たち、また支援者たちが一つになって生まれた「団結の力」にある。ニつ目は事件の本質と民族教育の正当性を訴えた学者、大学教授、研究者らの存在。三つ目は裁判官の正当な判断を促すために貴重な資料を提供してくれた方々の存在だ。長く、厳しい闘いだったが、支援と連帯、理解の輪は日増しに大きく、そして強くなっていった。

さとう:その輪をさらに広げ、朝鮮学校と民族教育の発展につなげていくために、11年11月には「朝鮮学校と民族教育の発展をめざす会・京滋」(こっぽんおり)が設立された。メンバーたちが朝鮮学校の行事などに何度も足を運ぶ過程で保護者や学校関係者との「顔の見える関係」が生まれ、学校との繋がりがいっそう強くなっている。今ではバザーや文化祭で売店を運営することも。

こっぽんおりでは、ヘイトスピーチの精神的苦痛を受けた子どもの保護者たちの声を受けて、学校やNPO法人京都コリアン生活センター「エルファ」らと協力し、府内の朝鮮学校に保健室を開設。現在はスタッフの派遣や運営費の工面にあたっている。また活動内容と朝鮮学校の現状を知らせるリーフレットを年4回発刊している。

:京都の朝・日友好運動にこっぽんおりと並んで大きな役割を果たしてきたのが、幅広い分野の友好団体で構成される「文化・学術・市民交流を促進する日朝友好京都ネット」(09年3月結成)だ。結成以来、毎年訪朝団を派遣し今年9月には10回目の訪朝団を派遣した。メンバーに府会議員、市会議員、弁護士、学術研究者、芸術家、宗教者らを網羅。毎回、訪朝報告会を催して共和国に対する各階層の理解者を増やしている。結成10周年を迎えるにあたって来年秋には10周年記念誌を発刊する準備をしている。

また今年7月に「日朝国交正常化のための提言」を発表したように、日朝友好京都ネットは朝日間の関係改善に向けた取り組みを地道に行っている。

地域密着型の活動も特徴の一つと言える。近年は総聯支部単位の日朝友好の集いが盛んだ。支部の忘年会や新年会には日本市民らが招待され、日本の友人の提案を受けて支部単位で「蒼色のシンフォニー」の上映会を行ったこともある。

良心的な人々は、情勢が緊張すると児童、生徒たちの身の安全を心配して自ら「見守り隊」に。「高校無償化」適用を求める火曜アクションでは共に声を張り上げ、世論喚起のために4か国語のビラを作ってくれたりする。このように京都では、どんな苦しい時でも揺るぎない信念のもとで朝日友好運動が続いてきた。

Q. 今後に向けて。

2012年には日朝友好京都ネットが100人規模の訪朝団を派遣。写真は「学術交流・歴史学」グループ。

:情勢が急転している今こそ、朝・日友好親善の機運を根付かせて国交正常化の実現を民間の力で促進していく、より強い運動が求められている。

そのためには、先代たちの遺志を継承していく若い世代を活動に取り込んで、朝・日友好運動の輪をより大きくしていかなければならない。朝鮮について正しい認識を持てるようにこれからも訪朝団を派遣し、同胞の人権擁護のための運動や、朝鮮学校の素晴らしさをより多くの人に発信していくことが重要だ。

守りに回るのではなく、攻めの運動に転じて、地域密着型の朝・日運動を地道に繰り広げていきたい。そうすることが日本社会の発展にも寄与することだと考える。

さとう:朝鮮学校の発信力が高まり、その魅力に気付く若者も増えている。こっぽんおりは30代が中心だが、さらに裾野を広げたい。一方で京都ネットの力を生かし、補助金拡充のための行政交渉に力を注いでいこうと考えている。子どもたちの「豊かな出会い」を保障せずして真の共生社会は実現しない。

日朝国交正常化をめざすなかで、植民地支配に対するきちんとした歴史認識をもち、戦後補償を実現させなければならない。東アジアの平和のため、次のステージに移る土台をつくるのが役割だと思っている。

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