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〈本の紹介〉「故郷」 李箕永作、大村益夫訳/朝鮮プロレタリア文学の代表作

この訳本で500ページをこえる「故郷」は1933年11月15日から34年の9月21日にかけて朝鮮日報に連載され後に単行本となった。本作品が書かれたのは、李箕永によれば、朝鮮人民の民族解放運動が高揚し、金日成将軍の導く抗日武装闘争の影響のもとに国内でも地下組織が結成され、労働運動と農民運動が政治闘争と結びついて積極的に展開されていた時期であった。

朝鮮近代文学選集8
      平凡社、03-3230-6579
      3500円+税

こうした情勢下で、文学の分野では「カップ=朝鮮プロレタリア芸術同盟(1925~35)」が結成されて社会主義リアリズムの創作方法の論議が活発になり、作品で肯定的・積極的人物を描くことが提起された。李箕永はこれを主導的に受容し文学の党派性と形象性(芸術性)は矛盾しないと確信し「文芸的時事観―創作方法問題に関して」(東亜日報1934年5月30日、6月4日付)を発表し、これに基づいて1920年代植民地下の典型的な農村を選定しそこで活動する肯定的人物を主人公にして「故郷」を書いたのである。以下三人の主な人物に沿って作品のシノプス(概要)をまとめる(「」は本文の引用)。

長編の舞台は李箕永が育った忠清南道の農村天安である。主人公の金喜俊はソウルの中学校を出た小作人の息子で14歳の時に2歳年上の福任と強制的に結婚させられたことが嫌で、向学心も抑え難く東京で学び社会の不条理に批判的なインテリとなって帰郷する。5年ぶりの故郷はすっかり変わって近くに女工400人程が働く製糸工場が出現していた。作者の経歴が多少投影されているらしい喜俊は妻の福任が好きになれなかった。ここで作者は封建的旧習を批判している。喜俊は幼馴染の安甲淑(後述)を愛しており彼女もまた彼を恋慕する。しかし妻帯者の喜俊と金満家の養子敬浩の許婚である甲淑とは結ばれない恋であった。

喜俊は、小作農として田畑で働きながら村の青年会に加入すると次第に頭角を現し夜間学校で教師を務め、別に自宅の狭い部屋で何人かの心ある村人を教え彼らを社会的に目覚めさせる。「働いて物を作る農民と労働者は役に立つ立派な人間だ」と説く喜俊に、村人たちは尊敬心を抱くようになり、喜俊もまた彼らから多くを学び村のリーダーとして成長する。だが、そんな喜俊にも悩みがあった。それは「家庭においても社会に出ても…ときおり行動にあらわれる」、「自分のインテリ根性が克服できない」ことであり「自分の意志の弱さがやりきれない」ことであった。しかし、彼はそうした自分を凝視しながら村人たちのために尽くそうと決意するのであった。喜俊を理想的な闘士として類型的に創作していないところにこの長編のリアリティが確保されている。

喜俊と対立的な関係にある人物の一人が安勝学である。彼は、かつては喜俊の家の残飯をもらっていたような男だった。奸知にたけた彼は狡猾に立ち回っていつしか不在地主閔判書のマルム(小作地管理人)にのし上がり小作農の搾取と高利貸で莫大な財を成した。マルムとしての絶大の権勢と財力を用いて村を支配する勝学は本妻(甲淑の実母)をソウルに住まわせ元妓生の妾と一緒に暮らす不道徳漢でもある。女子高等普通学校で学んだ娘の甲淑は自分の父を「…利益とか、地位とか、自分の名誉のためには妻子もなく友人の義理も知らない」と忌み嫌う。作者は勝学の乱れた生活を克明に描くことで日帝支配下の地主階級とその走狗の売国的本性を炙り出している。

喜俊を愛し彼の生き方に共感を覚える甲淑は父に反抗して家出し製糸工場の女工となり喜俊を援助する。工場では甲淑が中心となってストライキが決行される。このシチュエーションでは労農の提携が示唆されている。

小説の山場は、大水害で凶作に直面した村人たちの小作料免除を求めるたたかいである。喜俊は「多少卑劣な手段」ではあるが「安家の醜聞を世間に暴露」するという脅迫手段をとった。勝学は村人たちの要求を受け入れる。ここで注目すべきは喜俊が「正当な手段」つまり小作争議を農民運動の根幹とすること、ひいては階級闘争の一環とすべきであると強調している事実である。

主な登場人物が20人程にもなる「故郷」は、植民地下の農村の現実をリアルに再現しつつ容赦なく搾取する地主階級と勤勉な農村の人物像を典型的に創造したこと、それに社会的に覚醒したインテリと農民、労働者の連帯を提示したこと、恋愛を同志的な「荘厳な愛」に昇華させたこと等々によって、朝鮮プロレタリア文学の最高傑作の一編となっている。

李箕永(1895~1984)は、当時圧倒的多数の文学者が親日派に転落したなかでも創氏改名と日本語での執筆を拒否し、革命家としての節操を守った。解放後は「朝鮮文学芸術総同盟」の初代委員長を務め、長編「土地」「豆満江」などの大作を残し「金日成賞」を受賞して愛国烈士陵に埋葬された。

大村益夫氏の訳文は朝鮮語のニュアンスを損なわず達意の日本語で綴られていて読者を魅了する。適切な訳注、充実した作品解説と、更には文献学的考察は極めて貴重である。  (卞宰洙 文芸評論家)