〈取材ノート〉問われる日本社会
2017年09月27日 10:20 コラムメディアの加熱報道は時に人格攻撃に転じることがあると、最近の取材現場で痛感させられた。秘書への暴言や「二重国籍問題」など、国会議員のいわば「不祥事」が続く昨今の政治状況。問題の核心には触れず、必要以上に小出しにしたり、人格そのものをおとしめるような見出しの数々。その「つるし上げ」の対象に女性が目立つのも深刻な問題の一つだが。
ふと、本紙の連載企画「共生のまなざし」で語ってくれた安田菜津紀さん(フォトジャーナリスト)の言葉を思い起こす。
「人を叩いて、貶めていくことを、メディアを通して日常的に接している子どもたちに、『いじめはしてはいけないことだよ』というのは限界があると思う。本当にこの伝え方でいいのか、誰かを必要以上に傷つけることにならないか、常に私たちには自己批判、自己反省が求められている」
はたまた、東京での高校無償化裁判。「裁量の範囲内」という言葉で公然と差別をする司法の判断に、学校関係者や同胞のみならず、多くの人々が異を唱えた。
13日、判決後の報告集会で壇上に立つ保護者のオモニはいう。
「植民地解放後、朝鮮人が真っ先に取り返したのが朝鮮語であり自分たちの名前だった。子どもたちをウリハッキョに通わせて立派な朝鮮人に育てたい、これのどこがいけないんでしょうか」
言論、行政、教育、そして司法までも。いま、日本社会のあり方そのものが問われている。(賢)