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歴史家の山田昭次さんが出版「戦争下の教育を受けた私が戦後歩んだ道」

日本の近代の思想史を、虐げられ差別され続けた民衆の側から解き明かしてきた歴史家の山田昭次さん(87)がこのほど「戦争下の教育を受けた私が戦後歩んだ道」(私家版)を刊行した。山田さんは満州事変勃発の1年前、1930年1月8日、埼玉県入間郡山口村(現・所沢市)で、誕生した。小学校以来の忠君愛国教育を受け、「皇国少年」だった山田さんが、戦後、いかにして、多くの朝鮮人の友人らと出会い、歴史研究者として歩んでいったのかを膨大な秘話とともに綴っている。

山田さんはこれまで膨大な編著書を刊行してきた。その足跡は一目瞭然(りょうぜん)である。「生きぬいた証に―ハンセン病療養所多磨全生園朝鮮人・韓国人の記録―」。 さらに「関東大震災時の朝鮮人虐殺事件碑文集」などの長年にわたる地道で誠実な仕事。ここでは関東大震災時の朝鮮人虐殺の日本政府の国家責任を追及してきた故琴秉洞さんの業績にも触れている。山田さんは、「在日韓国人政治犯」徐勝・徐俊植さん兄弟救出のため、粘り強い運動を展開してきた軌跡。さらには夫、朴烈と共に1923年、関東大震災朝鮮人虐殺事件の国家の責任逃れのために作られた大逆事件の被告にさせられて死刑判決を受けた後、無期懲役となり、その後1926年に自殺した金子文子への深い思いを綴っている。

文子の生きた時代は、まさに日本が朝鮮を植民地支配下に置き、普通の日本人は朝鮮人を蔑視、差別し、虫けらのように思っていた時代であった。山田さんは「植民地支配下の朝鮮人の苦しみや解放に向けての闘いに彼女が女性差別を受けた痛み」に「心の底から共感した」と書いている。また、12年前、84歳で死去した夫人の智恵子さんについても「彼女と夫婦喧嘩したことは一度もなく、幸せな夫婦だった」と思い出を語っている。(粉)