〈2016・風景に抗う 6〉“生きてきた正当性を記録する”/ルポ・ウトロを歩く
2016年08月26日 16:19 主要ニュース日本の「戦後」を問う
京都府宇治市伊勢田町ウトロ51番地。1941年、日本の侵略戦争遂行のための軍用飛行場建設に動員された朝鮮人は、戦後何ら保障のない中で、厳しい生活を余儀なくされ、20年にわたり「強制立ち退き」の危機にさらされ続けた。そして現在、長年の懸案事項であった「土地問題」が決着し、「ウトロ街づくり」事業が推進されている。ウトロの今を追った。
同胞の生きざま
60世帯、約150人が暮らすウトロ地区。80年代まで労働者が使っていた飯場や人影のない朽ち果てた家々。時が止まったかのようなその風景は、戦後の同胞たちの生きざまを色濃く残している。
戦後、ウトロの所有権は「日産車体」に移された。そこからウトロの土地問題が始まる。その所有権は87年、住民に知らされることなく「西日本殖産」に転売され、89年、同社は住民らに立ち退きを要求する訴訟を起こした。2000年11月、最高裁での上告棄却決定で、住民側が敗訴。「強制立ち退き」に抗する住民たちの長い長い闘いが始まった。
「地上げ反対!ウトロを守る会」として30年以上もウトロと関わってきた田川明子さん(71)は、裁判で証言台に立った「おばあちゃん」の姿を語る。
「ぎっしりと埋まった傍聴席を前に、公の場で初めて自分たちの辛い境遇を聞いてもらえる。おばあちゃんは張り切って、どうしてウトロに住むようになったか、いかに悲惨な暮らしだったかを証言した」。しかし、裁判所は問題を「単なる土地所有権の問題」ととらえ、政府や企業、自治体の戦後補償責任に触れることはなかった。「民事裁判だから、どちらが悪いということはないんだよといくら話しても『被告』と呼ばれることに強い怒りを感じ、また、証言台に立ったが『宣誓書』の文字が読めず、裁判所職員に次いで復唱するおばあちゃん。傍聴席から、その小さい背中を見つめ、私は日本社会で触れ合うことのなかった人々の人生を知りました」。
植民地支配による生活破壊によって、生きる術を失い、海を渡った1世。「行けば家があてがわれる」と聞き、また徴用から逃れるため飛行場建設に従事するが、それは到底家と呼べる代物ではなかった。そして戦後、同胞たちは、社会保障も得られない、幾重の苦しみと差別の中で、コミュニティを築き、生活した。その住み慣れた「家」が奪われる。危機感は、強固な反対運動へとつながった。
「2度目やで。1度目は、国ごと地上げに会ったわけやないか(日本による植民地支配のこと)。これでわしらは2度目や」。ウトロに住む1世の姜景南さん(90)の言葉だ。
ウトロの空家をつぶそうとトラックがやってきた際には、「あんたら、なにしに来てんねや。その古い空家を潰しに来るんなら、私をひき殺してから潰せ」と地面に身を投げ出し抗議したという。
姜さんは「苦労だけや。それでもな、裁判のときは、京都、大阪、名古屋とマイクで放送して、知らせた。そしたら、みんなが応援に来てくれた」と回想する。
そして、その運動の中心には常に地域同胞に寄り添い続け親しまれた歴代の総聯活動家の姿があったという。
遅すぎた解決
「トンネを残す」。裁判を通じて住民たちが得た結論だった。そこから、土地を購入し、行政に公営住宅の設立を求める「ウトロまちづくりプラン」が当事者と支援団体の手で進められた。土地購入のための募金運動は総聯組織や日本の支援団体のみならず、南の社会にも広がり、南の政府も支援に動いた。
今年の6月から、ウトロでは日本政府、京都府、宇治市が公的住宅を作る「ウトロ街づくり」事業に沿って、市営住宅建設に伴う解体工事が始まった。2020年までに市営住宅2棟61戸を完成させ、雨水貯留施設や上下水道、排水路を整備する。
長年にわたる強制立ち退きの恐怖におびえることはもうない。しかし、それはあまりにも遅すぎた決着であった。田川さんは言う。「『元気に頑張って生き抜いて、住宅ができたときは私が第1号で入る。それが私の仕事やねん』と言っていたおばあちゃんたちは、亡くなってしまった。日本でたくさんの苦労を味わったからこそ、たとえ半年でも1年でも安心して暮らしてほしかった。もう少し早かったら…」。
夕暮れ時、ショベルカーの工事音が鳴り響く。土地問題が解決し、姿形を変え行くウトロ。
総聯南山城支部の金秀煥委員長は、ウトロに隣接した陸上自衛隊大久保駐屯地をじっと見つめる。「戦後、軍隊を持つことを禁じられたにもかかわらず、設置された自衛隊。その隣り合わせにあり、戦後補償からはじかれ続けた同胞たちが集うウトロ。ここには日本の近代における『矛盾』が混在しているんです」。
また、ウトロ問題を追い続けたジャーナリストの中村一成さんはウトロのこれからをこう見据える。「土地問題が解決し、この地に生きてきた在日朝鮮人をどう記録していくか。なぜなら彼らの生きてきた正当性こそが、日本の植民地主義を根本から問うものだからだ」。
日本の戦争責任、植民地支配責任が集約されたウトロの地は、その姿を変えてもなお日本の「戦後」を問い続けている。
(金宥羅)
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