人種差別のない地域社会を築くことこそ知事の責務/阿部浩己


「朝鮮学校と北朝鮮は関係ないと、県民に理解してもらう自信がない。盾になり続ける気持ちがうせた」。2月18日の会見において、黒岩祐治神奈川和県知事は朝鮮学校への補助金打ち切りの事情を説明して、そう述べた。

安部浩己さん

県民が誰を指しているのかは分からないが、知事に「苦渋の選択」を強いたのは、朝鮮民主主義人民共和国(DPRK)による核実験の強行という「国際社会を敵に回す暴挙のエスカレート」だという。だが、同月22日の県議会で知事は、「朝鮮学校と北朝鮮は違うという声は承知している。子どもに罪がないことも重々分かっている」とも発言している。核実験の実施と朝鮮学校の生徒たちとはなんの関係もなく、補助金の停止は罪なき者にいわれなき懲罰を科す不条理であることを、みずから告白しているにひとしい。

知事には、この際ぜひ知っておいてもらいたいことがある。DPRKの行為をいましめてきた国連安全保障理事会は、一連の決議において、制裁の実施が同国の一般市民に人道上の不利益を課すものではないとわざわざ断っている。核実験がいかに許しがたくあろうとも、今日の国際社会において市民の人権を踏みにじる制裁の実施は許されないのである。補助金の打ち切りは、安保理決議が伝えるそうした国際社会の常識にもとるものといわなくてはならない。

朝鮮学校を高校無償化法の適用除外とする安倍政権の方針は、日本社会のきしみをここぞとばかりにあおっている。それは、教育の機会均等をはかる同法の理念をそこなうだけでなく、正当な理由なく朝鮮学校の生徒たちを排除する人種差別にあたり、憲法第14条、自由権規約第26条、社会権規約第2条、人種差別撤廃条約第5条、子どもの権利条約第2条などの侵害をいくえにも引き起こしてしまっている。

神奈川県知事の今般の判断は、こうした差別の様相をさらに深めるのみならず、朝鮮人を標的にした人種差別にみずから加担し、これをあおるものとして人種差別撤廃条約第2条および4条との抵触すらうかがわせている。くわえて、朝鮮学校は、日本社会におけるマイノリティ文化をはぐくむ重要な場として特別の配慮を必要としており、補助金の打ち切りは、そうした趣旨をうたう子どもの権利条約第29条、30条および自由権規第27条にも背馳する。公的機関の長には、こうした人権保障の責任が厳然と課せられていることを忘れてもらっては困る。

黒岩知事の発言のなかにあってことのほか違和感を覚えたのは、朝鮮学校の生徒たちに「国を背負うということを学習してもらいたい」と述べたくだりである。おどろおどろしきことこのうえないが、そこには、人間を1つの国に埋没させてうたがわぬ世界観が透けて見える。私たちの帰属先は、1つの国に限られるわけではない。民族であり地域社会であり、場合によっては国際社会かもしれない。世界には、2つ以上の国籍をもつ人も少なくない。

朝鮮学校をDPRKと一体化させるのは短慮にすぎるが、もっとも大切なことは、生徒たちは1人の例外なく日本社会の構成員であるということだ。かれらは、わたしたちが共に背負う地域社会の一員にほかならない。自治体の首長が最優先すべきは、そうした住民・県民の安全でなくてはならない。国家の安全保障ではなく、地域に生きる人間たちの生活といってもよい。

人種差別は人間の尊厳をそこなう。そして、地域に生きる人々に亀裂を走らせる。多民族・多文化性を格別に大切にしてきた神奈川の地に、それはおよそにつかわしくない。

(神奈川大学法科大学院教授・国際人権法)

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