〈客観的基準に基づいて朝鮮を見よう〉-世論の力で日本の対朝鮮政策の変化を促すために/浅井基文
2013年02月25日 16:41 主要ニュース朝鮮の人工衛星打ち上げ(昨年12月12日)及び第3回核実験(本年2月12日)に対して、日米韓をはじめとする国際的反応(これまで朝鮮の行動に比較的理解を示してきた中国を含む)は極めて厳しい。しかし、朝鮮で金正恩体制が成立(2011年12月)し、韓国で朴槿恵政権が成立する(2013年2月)までの1年強の間に、朝鮮半島情勢に深く関わってきた6ヵ国すべて(朝露中米日韓)で新政権が成立するというかつてない転機の機会を迎えている。
朝鮮半島ひいては東北アジアに持続する平和と安定を実現したいというのは、よほど好戦的なものは別として、誰しもの願いだろう。そのためには多くの努力が必要とされることは言うまでもないが、特に朝鮮の政策・行動に関する世論状況について考えてみる必要があると思う。一見当たり前とされる世間的な「常識」が実は客観的基準に基づかない非常識であることが理解されれば、世論の朝鮮を見る目も変わり、朝鮮に対する認識も変わることが期待される。対朝世論が変われば、それは各国の対朝政策にも変化を促す力となるだろう。以下では5つの「常識」について考えてみよう。
「朝鮮の核ミサイルは米日韓に対する脅威」という「常識」
軍事的に言えば、3回の核実験を行って核弾頭の小型化に前進し、人工衛星打ち上げを成功させて長距離弾道ミサイル能力を実証した朝鮮は、アメリカを射程範囲に収める能力を獲得しつつあることは間違いない。いったん戦端が開かれれば、朝鮮の核ミサイルが米(日韓)に甚大な被害を与えることはそのとおりだ。その限りで、「米日韓に対する脅威」とする「常識」には無理がないように見える。
しかし、この「常識」の最大の非常識は、「戦端が開かれる」=「朝鮮が核ミサイル攻撃を仕掛ける」とする前提にある。朝鮮が先に攻撃を仕掛ければ、次の瞬間に米(日韓)の総反撃で朝鮮は地上から消える。だから朝鮮が戦端を開く(攻撃を仕掛ける)ことはあり得ないのだ。朝鮮が核ミサイル開発に邁進するのは、もっぱら米(日韓)が朝鮮に戦争を仕掛ける衝動を思いとどまらせる(自国の生存を確保する)ためだ。仮に米(日韓)が攻撃を仕掛ければ、朝鮮も米(日韓)が耐えられない規模の被害を与えるに足る核ミサイル能力を持てば、米(日韓)は朝鮮に対する戦争を思いとどまるほかない。この「思いとどまらせる力」がいわゆる朝鮮の核抑止力だ。
ちなみに軍事的な「脅威」とは、相手に対して甚大な被害を与える「能力」と「意思」の双方が備わっている場合に使われる用語であることは基本的・初歩的な常識だ。朝鮮は「能力」を備えつつあるが、米(日韓)に対して戦端を開く(攻撃を仕掛ける)「意思」はあり得ない。だから、「朝鮮の核ミサイルは米日韓に対する脅威」という「常識」自体が実は基本的・初歩的な常識に当てはまらない代物だ。
「朝鮮の核開発は朝鮮の安全保障にとって有害無益」という「常識」
朝鮮が核開発することは米(日韓)の警戒を強め、むしろ戦争の危険を増やすだけだから、「朝鮮の安全保障にとって有害無益」だとする議論も「常識」とされている。朝鮮の第3回核実験以後、中国国内でもこの議論が強まっている。軍事的に身構えるよりも、経済建設に専念する方が米(日韓)の対朝姿勢を転換させるのに有利だというわけだ。しかし、この「常識」は二つの点で客観的常識とは言えない。
一つは、原因と結果をひっくり返した議論だということ。朝鮮がなけなしの金を使ってでも核開発を余儀なくされたのは、朝鮮戦争以来一貫してアメリカが朝鮮に対する核先制攻撃戦略を採用してきたからであり、その逆ではない。朝鮮が核開発中止(更には廃絶)に応じうるようにするためには、まずはアメリカがその核を含む対朝鮮敵視政策を根本的に改めなければならない。
もう一つは、1964年に中国が核開発した当時の議論を踏まえていないこと。当時の中国は米ソの核先制攻撃を恐れる十分な理由があった。その状況は今日の朝鮮と変わらない。そして、核抑止力という考え方の客観的当否は別として、核兵器の途方もない破壊力は確かに相手からする攻撃を思い止まらせる力(抑止力)を持っており、弱者の強者に対する政策としては有効であることは広く認められている。
「朝鮮の核開発はNPT体制に対する挑戦」という「常識」
「朝鮮の核開発はNPT体制に対する挑戦」であり、だから朝鮮は「けしからん」という「常識」も広く共有されている。しかし、この「常識」も客観的基準を踏まえた議論ではない。
まず、朝鮮はNPT体制に挑戦した最初の国ではない。イスラエル、インド、パキスタンというれっきとした「先輩」がおり、NPT体制はこれらの国々の存在を事実上黙認している。核不拡散体制が望ましいことは一般論としてそのとおりだ。しかし、NPT体制は自国の安全保障を保障しないというのがイスラエル、インド、パキスタンの立論だったし、いま朝鮮が取っている立論もそういうものだ。
そもそもNPT体制なるものが、核兵器国による核兵器の「全面的かつ完全な軍備縮小」の約束(第6条)と非核兵器国によるその非保有の約束(第2条)の実現というバランス(客観的基準)の上に成り立っている。アメリカが約束を守らず、その対朝鮮核威嚇政策を手放さないもとで、朝鮮に対してだけ「NPT体制に対する挑戦」を云々するのはバランスを欠くこと著しいものがある。
ちなみに、NPTを含む国際条約は締約国のみを拘束するというのが国際法上の決まりである。朝鮮はNPTを脱退した上で核開発を進めてきた。だから、「NPT体制に対する挑戦」という「常識」的受けとめ方自体にも実はそもそもの無理がある。
「朝鮮の人工衛星打ち上げの本質は弾道ミサイル開発」という「常識」
「朝鮮の衛星打ち上げは弾道ミサイル開発をカモフラージュするもの」だという「常識」はどうか。衛星打ち上げ用ロケットと弾道ミサイルには本質上違いはないということは誰もが知っていることで、その限りで誤りではない。
しかし、この「常識」はすべての国のロケットにも当てはまることだ。安保理決議が「朝鮮の人工衛星打ち上げ」だけを制限し、他の国々のケースを誰何しないというのは二重基準以外の何ものでもなく、主権国家の対等平等原則(民主的国際関係)という客観的基準にかなうものではない。ちなみに、人工衛星打ち上げに余念がない日本が弾道ミサイル能力を確立していることはそれこそ国際的常識である。
「朝鮮のミサイル開発は安保理決議違反」という「常識」
累次安保理決議が朝鮮のミサイル開発を禁止していることは事実で、朝鮮の「弾道ミサイル技術を使った打ち上げ」が安保理決議違反だという「常識」には無理がないように見える。しかしこの「常識」には、そもそも安保理は宇宙条約ですべての国に認められている宇宙の平和利用の権利を制限・禁止する権限があるのか、という根本問題を素通りしているという致命的な問題がある。
宇宙条約は、「宇宙空間は、すべての国がいかなる種類の差別もなく、平等の基礎に立ち、かつ、国際法に従って、自由に探査し及び利用することができる」(第1条)と定める。朝鮮の人工衛星打ち上げに対して採択された安保理決議2087(前文)はこの宇宙条約の規定を踏まえて、「安全保障理事会決議によって課される制限を含む国際法に従ってすべての国が有する、宇宙空間を開発し利用する自由」を認めた。
しかしこの決議前文の最大の問題は、宇宙条約にいう「国際法」のなかに「安保理決議に基づく制限が含まれる」としたことだ。客観的基準に照らした場合、安保理には既存の国際条約で認められている国家の権利を新たに制限する権限があるという、決議があたかも当然の前提視する考え方自体に重大な問題がある。
このような考え方を認めてしまうならば、安保理(つまり大国)はいかなる国際法の内容も勝手に変えられることになってしまう。実力(ここでは大国)がルール(ここでは国際法)をいかようにもできるということになれば、世界は2世紀前のウィーン体制の時代に逆戻りしてしまう。そんな時代錯誤を認めるわけにはいかないことは、誰の眼にも明らかなはずだ。
私たちが以上5つの「常識」のおかしさ・理不尽さを理解することは難しいことではないはずだ。それほど、こと朝鮮に対するとなると客観的基準に悖る非常識がまかり通っているのだ。客観的基準を踏まえて私たちの対朝鮮認識を正すこと、それがまずは第一歩だと確信する。正しい認識に基づく世論が形成されていけば、現在の大国及び米日韓主導の対朝鮮政策もたち行かなくなるだろう。そして、米韓中露の対朝鮮政策が改められることになれば、ひとり日本のみが硬直した対朝鮮敵視政策に固執することも困難になるはずだ。
幸い、日朝間には既に日朝平壌宣言という国交正常化の枠組みを定めた文書が存在する。日本の対朝敵対世論、対朝鮮敵視政策さえ清算されれば、日朝国交正常化は指呼の間にある。私たちとしては、そういう大きな展望に確信を持って、まずは非常識な「常識」に凝り固まった世論を正すことに全力を傾けようではないか。
(国際問題研究者)
筆者プロフィール
1941年愛知県生まれ。東京大学法学部を経て外務省に入省。外務省において、在オーストラリア大使館、在ソ連大使館、条約局国際協定課長、アジア局中国課長、イギリス国際戦略研究所研究員などを務める。東京大学教授、日本大学法学部教授、明治学院大学国際学部教授、広島市立大学広島平和研究所所長を歴任。
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