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〈ウリマルの泉(우리 말의 샘) 23〉総聯のウリマル運動とともに(총련의 우리 말 운동과 더불어)

ウリマル運動は、民族教育事業と成人教育事業などいろいろな形で、解放直後から一貫して推進されてきた運動である。 特に総聯は、結成後、在日朝鮮人運動を一貫して母国語で展開し、朝鮮語を正しく習い使うための民…

〈ウリマルの泉(우리 말의 샘) 20〉学生祖国訪問団を引率する①(학생조국방문단을 인솔하다)

朝大生が本格的に祖国を訪問するようになったのは1980年からである。それから10年間、朝大生は毎年1カ月間、平壌をはじめ白頭山、金剛山、開城、板門店などを参観・見学しながら祖国の慈愛深い愛を胸に刻んだ…

〈ウリマルの泉(우리 말의 샘) 19〉教員話術研究会を組織する(???????? ????)

1984年、私が「在日朝鮮学生中央芸術大会及び口演大会」と「中央雄弁大会」の審査員として大会に初めて参加した時のことだ。 審査していて学生たちの発音や抑揚に違和感を覚えた。特に抑揚が気になった。「お話…

〈ウリマルの泉(우리 말의 샘) 18〉国語教員学習会を組織する(국어교원학습회를 조직하다)

   40年ほど前のことである。当時、1983年からの教科書改編と3世・4世への世代交代が進む学生たちの実情に合わせて、国語教育の質の向上、特に話す能力向上のための口語教育の強化が強く求めら…

〈ウリマルの泉(우리 말의 샘) 17〉国語教員代表団を引率する(국어교원대표단을 인솔하다)

1984年6月19日、祖国講習に参加する国語教員が出発を前に総聯中央会館に集合した。その集いで李珍珪第一副議長が挨拶された。

〈ウリマルの泉(우리 말의 샘) 16〉通信研究院に通う(통신연구원을 다니다)

1978年7月のある日、副学長から呼び出しがあった。行ってみると他にも呼ばれた教員がいた。副学長は私たちに「今年度から朝鮮大学校の教員の資質向上のために、金日成綜合大学に通信研究院 (現・通信博士院)…

〈ウリマルの泉(우리 말의 샘) 15〉教員の祖国講習に参加する(교원조국강습에 참가하다)

1978年7月、初・中・高・大学の教員30余名で構成された第6次教育者代表団の一員として、生まれて初めて祖国の地を踏んだ。 滞在中、代表団は朝鮮民主主義人民共和国創建30周年記念の各種行事に参加する幸…

〈ウリマルの泉(우리 말의 샘) 14〉執筆活動を始める(집필활동을 시작하다)

日校出身生のウリマル指導で朝鮮語学習の資料不足を痛感した私は、朝鮮語学習者のための参考書を作る必要性を、日増しに強く感じるようになった。 考えた末に、私は、自らの手で参考書作りをする決心をした。まずは…

〈ウリマルの泉(우리 말의 샘) 13〉日校出身生を教える(일교출신생을 가르치다)

大学を卒業して3年目の1972年4月から1977年3月まで、일고출신생(イルギョチュルシンセン・日本高校出身生の縮約語)の국어(クゴ・国語・朝鮮語)を教えることになった。 当時は、毎年30名前後の日校…

〈ウリマルの泉(우리 말의 샘) 12〉韓徳銖議長のウリマル指導(한덕수의장의 우리 말 지도)

4年生になって間もなく、大阪朝高での教育実習に続いて兵庫での組織実習を経験した。 3年生になってから朝鮮語学関連の授業がほとんどなくなった大学の授業に戸惑いを感じていた私は、組織実習に参加して朝鮮語学…

〈ウリマルの泉(우리 말의 샘) 11〉朝の読書と演劇・詩劇(아침독서와 연극, 시극)

大学生活での体験は、私に自分のやるべきことをいろいろ教えてくれた。 朝大生の学習熱、読書熱もその一つだ。教室や図書館はもちろん、中庭の池のほとりや柳の木の下で読書にふける姿、本を読みながら校内を歩く姿…

〈ウリマルの泉(우리 말의 샘) 10〉朝鮮大学校創立10周年と思い出の歌(조선대학교창립 10돐과 추억의 노래)

朝鮮大学校に入学して数日後のことだった。先輩が私たち新入生を教室に集めると、何の説明もないまま1枚の紙を配り始めた。そして、「演奏できる楽器があれば楽器名を書きなさい。なければ名前だけ書いて出しなさい…

〈ウリマルの泉(우리 말의 샘) 9〉朝鮮大学校のウリマルの風景(조선대학교의 우리 말 풍경)

朝鮮大学校創立10周年を迎えた1966年4月、私は12期生として朝鮮大学校文学部に入学した。 大学の門をくぐるとそこはまるで別世界だった。教室、寄宿舎、食堂、売店、運動場、校内のあちこちから小鳥のさえ…

〈ウリマルの泉(우리 말의 샘) 8〉運命の分かれ道(운명의 갈림길)

人生には、運命の分かれ道というものが誰にでもある。私も高3の時に人生を大きく変える運命の分かれ道に二度も出会った。 1965年5月28日、東京で朝大生をはじめとする関東地方の8千人の学生によるマスゲー…

〈ウリマルの泉(우리 말의 샘) 7〉夏休みの宿題と漢字音(여름방학숙제와 한자음)

中学1年の夏休みに入ると、すぐに自分に課した夏休みの宿題に取り組んだ。それは、復習と予習を兼ねて家で世界史の教科書を訳すことだった。 叡山電車の終点、鞍馬駅の三つ手前にある市原から静原方面に20分ほど…

〈ウリマルの泉(우리 말의 샘) 6〉カンニングと「パパ」事件(부정행위와 「아빠」사건)

「事件」は60年前、4.19人民蜂起が勃発した年に京都朝鮮中高級学校へ入学した時に起きた。 1959年12月、在日朝鮮人の朝鮮民主主義人民共和国への帰国事業が始まったことで1960年4月、ウリ学校の学…

〈ウリマルの泉(우리 말의 샘) 5〉お使いと新聞配達(심부름과 신문배달)

小学校4~6年生の頃、嵐電に乗って四条中新道の朝鮮の乾物屋によく심부름(シンブルム・お使い)に行った。太秦から西院まで電車で行き、そこから朝鮮の乾物屋までは歩いて行く。명태(ミョンテ・メンタイ/スケト…

〈ウリマルの泉(우리 말의 샘) 4〉日本の学校と朝鮮人長屋(일본학교와 우리 동네)

1953年3月に東九条の朝鮮人部落から京都市右京区太秦藤ノ森町の朝鮮人長屋に引っ越した。長屋には8軒の家があったので8軒長屋と呼ばれていた。 私は、1年間通っていたウリ学校が遠いということで、広隆寺が…