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〈声よ集まれ~裁判闘争の現場で 15〉孫が通えるウリハッキョを/愛知・許淑禮さん

「子どもたちが原告に? 絶対イヤ。ありえんわ」 7年前、愛知で無償化裁判を行うという話を初めて聞いた時の第一印象だ。

〈声よ集まれ~裁判闘争の現場で 11〉“切り離せない身近なもの”/東京・金潤実さん

中級部の頃、朝のニュースで「高校無償化制度が始まります」という報道を目にし、家族が喜んでいた光景を今でも覚えている。

〈声よ集まれ~裁判闘争の現場で 10〉拠り所を思いながら/福岡・金景姫さん

長女が九州中高に在学していた時期はオモニ会の先輩たちの背中についていくばかり。どこか一歩引いていたような気持ちもあった。月日が経ち、末娘が無償化裁判をめぐる運動に参加するように。街頭に立ち署名活動やビ…

〈声よ集まれ~裁判闘争の現場で 9〉「自分らしく生きて」/福岡・金秀愛さん

ウリハッキョに通っていた頃、習い事で親しくしていた日本学校の友だちから急に無視されるようになった。どうしたん?て聞くと「お母さんが金さんと喋ったらあかん」て。幼心にも本当にショックで…。自分の娘はそん…

〈声よ集まれ~裁判闘争の現場で 8〉「音楽は心を揺さぶる」/大阪・古賀滋さん

シベリア抑留者の父から聞いた。極寒の地では音楽やウォッカがないと生きていけなかったということを。高校時代から反戦運動に傾倒。その後中国を訪れ、89年に平壌での世界青年学生祭典に参加した。どこか、両国で…

〈声よ集まれ~裁判闘争の現場で 7〉「朝鮮人として生きたい」/愛知・陳聖華さん

日本学校に通った小学校の時からルーツが気になっていた。オモニは朝鮮学校を卒業したが出自についてあえて言わない。自分は「朝鮮人」であることを肯定的に捉えられず、留学同東海に参加しながらも朝鮮学校の問題と…

〈声よ集まれ~裁判闘争の現場で 6〉黙って見過ごせるわけない/大阪・曺國順さん

毎週火曜日になると自転車を漕いで「火曜日行動」に向かっている。5年間も続けていたら、道行く人は、悪いけどほとんど顔見知りよ。ビラをもらってくれる人、もらってくれない人はみんな決まっている。

〈声よ集まれ~裁判闘争の現場で 5〉何よりも尊い尊厳/広島・石岡修さん

被差別部落出身者の自己を捉えたのは大人になってから。教員として同じ境遇を抱く子どもと寄り添うために実践研究を積み、研究会で朝鮮学校の校長と出会った。その後生徒や教職員同士の交流を深め、朝鮮学校の素晴ら…

〈声よ集まれ~裁判闘争の現場で 4〉教育者の信念に生きる/福岡・瑞木実さん

北九州の小倉で43年間、教員生活を送った。「どの国、人種でも、生徒たちの間に垣根があってはならない」。確固たる考えのもと福教組本部に務めていた84年頃から朝鮮学校の教職員との交流を築いてきた。

〈声よ集まれ~裁判闘争の現場で 3〉足腰の強い運動に/愛知・原科浩さん

1980年代の指紋押捺拒否裁判に携わった後、1990年代末に朝鮮学校卒業生の大学受験資格問題について知る。当時の勤め先、名古屋大学でも入学希望者が門前払いに。教育者としてその事実を知らずにいたことを恥…

〈声よ集まれ~裁判闘争の現場で 2〉いつも心で闘う/大阪・金愛美さん

大阪地裁判決の勝利で、人生で初めてうれし泣きをした。でも、また頑張らないと―。

〈声よ集まれ~裁判闘争の現場で 1〉「逆転勝利」へ動き出す/広島・李美恵さん

朝大を卒業し、山口朝高と宇部初中で教壇に立った。心の中には今でも当時の生徒たちがいる。彼らに恥じないように生きよう。ウリハッキョを守るために全力を注ごう。広島初中高のの保護者となり思いはいっそう強くな…