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〈人物で見る朝鮮科学史 33〉高麗の科学文化(6)

綿の栽培で功績挙げた文益漸 14世紀まで朝鮮の衣服の主流は麻であったが、保温性の優れた綿によって衣服革命をもたらした人、それが文益漸である。1329年に貧しい両班の家に生まれた文益漸は、農業に従事して…

〈人物で見る朝鮮科学史 30〉高麗の科学文化(3)

人類文化史上の貴重品となる活字 高麗の科学技術を語るうえで欠かせないのは金属活字の発明であるが、これは高麗に留まらず朝鮮科学史のもっとも重要な業績の一つである。活字それ自体は中国で発明され、木活字、陶…

〈人物で見る朝鮮科学史 29〉高麗の科学文化(2)

木版印刷技術の頂点、「八万大蔵経」 印刷術は中国の四大発明の一つに数えられるが、現存する世界最古の印刷物は新羅時代の仏国寺釈迦塔から発見された経文「無垢浄光大侘羅尼経」であり、印刷術自体も新羅が最初か…

〈人物で見る朝鮮科学史 28〉高麗の科学文化(1)

高麗時代の天文観測記録 918年に王建が建国した高麗は936年に全国統一を果たし、その後1392年までの約500年間、文化的にも隆盛を極め世界的にも知られた。英語のコリアが高麗に由来することはあらため…

〈人物で見る朝鮮科学史 27〉道詵と風水地理

民族性と迷信的なものが混在 物質を、それ以上分割できない粒子から構成されていると考え、それをアトム(原子)と呼んだのは古代ギリシャの哲学者デモクリトスである。その約2000年後、イギリスの化学者ドルト…

〈人物で見る朝鮮科学史 26〉海東盛国・渤海(下)

朝鮮史の正統な位置付け 渤海の科学技術に関しては不明な点が多いが、日本の記録に貴重な事例がある。それは、859年に来日した烏孝慎という人物が日本に天文暦書「宣明暦」を伝えたというものである。それより約…

〈人物で見る朝鮮科学史 25〉海東盛国・渤海(上)

牙をむきだした力強い石獅子 高句麗は長い間の外来侵略者との戦いで疲弊し、ついには唐と新羅の連合軍によって滅びたが、その領土を回復すべく698年大祚栄によって建国されたのが渤海である。しばしば、新羅が高…

〈人物で見る朝鮮科学史 24〉新羅の科学文化(番外編)

慶州最高の教育の場 2002年11月、筆者は全北大・金根培教授の案内で新羅の古都慶州を訪れたことがある。釜山大で開催された韓国科学史学会で「科学史における近世」という題で招待講演を行った翌日のことであ…