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第34回「コッソンイ」作文コンクール、入選95編

学校生活、被災地への思いなど 朝鮮語で素直に表現 朝鮮学校に通う初・中・高級部の児童・生徒たちを対象に、1978年から毎年行われている「コッソンイ(寡勺戚=花房)」作文コンクール(主催=朝鮮新報社)の…

〈朝鮮仏教と私たち 19〉後期新羅の名僧・義湘(下)

海東華厳宗の開祖 義湘(625~702)は海東華厳宗(「華厳経」を根本経典とする朝鮮の宗派)の開祖である。

〈ハングルの旅 9〉時調はどのように書かれたか?

鄭夢周の肖像画 時調とは初章・中章・終章の三章六句からなり、各句は3.4もしくは4.4の音節を持つ、総数45程度の文字から構成される定型詩歌を言う。時調の起源についてはいくつかの説があるが、高麗歌謡変…

〈朝鮮民族の美 12〉青磁象嵌 葡萄唐子文 瓢形水注(12~13世紀)

美しく優美な「ひさご形」の水差し(水指・爽穿切)である。胴体の全面に葡萄の蔓が張り巡らされ、大きな葡萄の房がなっており、葉は小さく描かれている。面白いのは、所々に少年(唐子)が蔓の上で遊んでいて、大小…

〈本の紹介〉「仁の人、義の人、信の人」安重根

蘇った東洋平和論 安重根が抗日義兵の参謀中将として、ハルビン駅頭で朝鮮侵略の総指揮者伊藤博文を狙撃して殺害したのは、1909年10月26日のことであった。そして、1910年3月26日に死刑執行。 それ…

〈歴史×状況×言葉 20〉金史良(下)/虚妄の「光」求める「在日」知識人映し出し

佐藤春夫は「光の中に」について「私小説のうちに民族の悲痛な運命を存分に織り込んだ」とし、芥川賞候補になったことに「何やら非常に愉快で幸福に似たような気持でさえあった」と述べた。しかし金史良自身は、「母…

〈朝鮮仏教と私たち 18〉後期新羅の名僧・義湘(上)

1300年語り伝えられる浮石説話 元暁と別れた義湘はその後海路で唐に向かった(661年、37歳)。

〈若きアーティストたち 82〉シンガーソングライター・李綾香さん

等身大の音楽、ステージでの一体感 〝心豊かな「人生のBGM」を〟 4歳からピアノを始めたが、決められた楽譜通り弾くのが苦手だった李さん。しかし、幼いころから絶対音感の持ち主だった李さんにとって、思い浮…