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〈朝鮮民族の美63〉李寅文「断髪嶺より金剛山を望む図」

これは同じ江原道の内陸部の断髪嶺(824㌢)から、東方へ約15キロ離れて横たわる金剛山(主峰1638センチ)の山々を望む図である。 昔はソウルや開成から200キロ近くの道を歩き、太百山脈に分け入り、断…

〈どうほう食文化〉冷麺物語(4)-麺打ち大会の夢語る二、三代目

元祖平壌冷麺屋(神戸・長田) 元祖平壌冷麺屋の麺は、蕎麦の実の芯の部分だけを使っている白い蕎麦粉とじゃがいも澱粉、小麦粉と少量の重層をまぜる。スープはトンチミをベースに肉スープ(牛肉)を3:2で合わせ…

〈どうほう食文化〉冷麺物語(3)-初代は平壌生まれの麺職人

元祖平壌冷麺屋(神戸・長田) 戦後冷麺は、ホルモン・焼肉店の発展とともに日本各地に広がっていった。 冷麺の普及が興業的に成功したのは盛岡冷麺といわれている。咸興出身の青木輝人(楊龍哲)さんが故郷の麺を…

〈朝鮮歴史人物〉隋の大軍を撃退した乙支文徳(9)

二人の息子は、自分たちがややもすれば祖国を裏切るところだった恥辱に対する悲痛な思いを胸に、夜明けに母を訪ねて高句麗の陣営へと移ってきた。 息子たちは母の前に伏して許しを請い、乙支文徳を訪ねて自らの罪を…

〈続・朝鮮史を駆け抜けた女性たち 55〉日常へのまなざし/林碧堂金氏

詩人、学者が競って跋文書く 「貧しさ」を背負い 1519年、夫である兪汝舟(ユ・ヨジュ)が政治的謀略に巻き込まれ流罪になったとき、18歳で嫁した林碧堂(リムビョクタン)金氏(1492-1549)は28…

〈朝鮮歴史人物〉隋の大軍を撃退した乙支文徳(8)

…元々、鹿足夫人には二人の息子がいたが、彼らも母に似て両足が鹿の足とそっくりであった。 ある日のこと、その子たちが外で遊んでいると、貴族の子がしきりにからかうので、なぐったところ、そのまま死んでしまっ…

〈朝鮮歴史人物〉隋の大軍を撃退した乙支文徳(7)

「なりません。虎穴に、しかも単身で乗り込んでいくなどあってはならないことであります」 それでも、乙支文徳は泰然自若だった。 彼は、敵陣に入った時から陣中を注意深く探った。

梁成花CD「ドビュッシーとコリアン・メロディー」

在日同胞ピアニスト梁成花さんのセカンドアルバム「ドビュッシーとコリアン・メロディー」が21日、発売される。収録曲はドビュッシーの「アラベスク1・2番」「月の光」「花火」「喜びの島」、コリアンメロディー…