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〈遺骨は叫ぶ 33〉長野・松代大本営

2010年03月23日 00:00 歴史

「御座所」工事後、虐殺か/篠ノ井旭高生らの「平和の史跡」保存運動

松代大本営地下壕群には恵明寺口からだけ入壕できる。全体の10分の1以下で、もっと公開することを望む声がでている

松代大本営地下壕群には恵明寺口からだけ入壕できる。全体の10分の1以下で、もっと公開することを望む声がでている

アジア太平洋戦争のとき、「大本営発表、我帝国陸海軍は.」と、粉飾され誇張された日本軍の戦果が、勇ましくラジオから流れた。この「大本営」とは、戦争の時に、天皇・陸軍参謀総長・海軍軍令部長とで構成し、戦争を指揮する最高統帥機関であった。大本営は、1893年に初めて置かれ、日清・日露戦争の時と、アジア太平洋戦争の時にも設置された。だが、日本軍の最高司令部であるこの大本営を、地方に移す計画が1944年に浮上した。

1941年にハワイ・真珠湾の奇襲に成功した日本軍は、その後の緒戦でも勝った。しかし、半年後にミッドウェーで大敗北してから、日米の形勢が逆転した。1943年11月には、大本営が「絶対国防圏」(これ以上攻め込まれると日本本土が危ないとするライン)が、連合軍による太平洋上のマキン、タラワ両島の陥落、マーシャル群島のクエゼリン、ルオット両島の上陸で崩れた。

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