会談破綻の責任
2013年06月14日 12:52 春・夏・秋・冬ソウルで開かれる北南当局会談を本紙記者も取材するはずだった。朝鮮新報の平壌特派員は北側の随行記者として、90年代の高位級会談、6.15以降の閣僚級会談の現場に立ち会ってきた。
▼北の対話提案に応えた南が「ソウルでの閣僚級会談開催」を求めた時、当然のごとく「北の内閣責任参事」と「南の統一部長官」が対座する場面が浮かんだ。「閣僚級」と呼ばれた会談は、常に同じ職責を担った人物が団長を務めた。
▼会談に先立つ実務接触で南側が「労働党書記」の名前を持ち出したのは、如何にも解せない。北南対話の歴史の中で「労働党書記」が公式会談の団長を務めたことは一度もない。無理難題を押し付けようとした結果、自らが提起した「閣僚級会談」の名称に矛盾が生じた。今回は「当局会談」と呼ぶことにした。
▼南当局の言行不一致に気づけば、北の対話提案を受け入れた目的が何だったのかと勘ぐりたくなる。会談前日、実務接触で北側に確約した統一部長官ではなく、格下の次官を送り出すと通報したのは、挑発の極みだ。北側の反発は十分に予想できたはずだが、南側は意に介さないという態度を示した。一方、統一部次官が会談出席を準備する様子はなかったとの指摘もある。
▼平壌特派員の話によると、北側は6年ぶりに開かれる閣僚級会談を「誠意を尽くして準備」したという。南側は違った。会談破たんの責任は、対決姿勢を続けた側にある。(永)