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〈西宮SEASIDE支部物語 3〉渦巻く葛藤、新報拡大は「おれの仕事じゃない」/趙利寛

2024年11月01日 06:00 寄稿

30年前の記憶が蘇る。1994年、朝⻘の専従イルクンとして活動していた頃、⽇中のほとんどは朝鮮新報との時間だった。朝、⻄宮⽀部に届く160部の束を結んでいる紐を解き、紙⾯を開く。掲載されている日本全国の仲間が活躍する記事に、胸を熱くし、いつかはおれもと拳を握りしめた。紙⾯を飾るのは活動家としての憧れだったのだ。⾬の⽇も⾵の⽇も、暑い⽇も寒い⽇も、毎⽇バイクで新報を配りに行った。今⽇のお昼は、⻄宮北⼝のお好み焼き屋、明⽇は阪神今津のうどん屋と、新報を届けるたびにご飯をご馳⾛になり、⼣⽅はオープン前の仕込みをしている当時の支部女性同盟委員長の居酒屋に配達。「ご飯食べて行くかー?」の声に⽢える。驚くほどお⾦のなかった専従イルクンを愛してくれた、温かい同胞たちのおかげで、新報を配る⼼とお腹はいつも満たされた。新報が同胞との絆も繋いでくれていたのだ。スマホもSNSもない時代のことだ。

朝鮮新報の配達で毎日通った阪神初級学校(当時)の児童らと(95年2月、写真中央が筆者)

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