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ニョメン・オーガナイジング⑦ご近所からの社会運動/文・イラスト=張歩里

2024年11月06日 08:40 ニョメン・オーガナイジング

あいさつ程度の付き合い

私はつい最近まで、近所に住む日本人と話すことに「ためらい」があった。

幼少期から朝鮮学校に通い、思春期を迎えるころには朝鮮人に対する物理的暴力や威嚇が吹き荒れていたし、明らかにメディアがそれを助長していた。中級部の時は電車での登下校時、いつも緊張していた記憶が鮮明に残っている。朝鮮と日本の関係が悪化するたびに、チマ・チョゴリ制服を着ている私たち女子生徒が標的になったし、高級部の頃には制服の見直し論議が起こっていた。

なぜ朝鮮人に対する攻撃や差別が繰りかえされるのか、それは歴史的、社会的な問題(マクロ)として捉えなければならないという「教育」を受けてきたものの、いざ日本人とのコミュニケーションの場では、表面的な話に終始したり、話がこれ以上深まらないようにしていた。それは「日本語上手だね」「ほぼ日本人だよね」のような「マイクロアグレッション」(無意識の偏見や差別によって、悪意なく誰かを傷つけること)を日常的に受けてきたからだ。無意識的な日々の会話で、相手の無垢さや無意識さをたてに、言い紛らわされてきたモヤモヤ経験が蓄積されて、結構ダメージをくらっていたのだ! いつの間にか日本人とのコミュニケーションに労力を使うより、在日同胞との繋がりを緊密にする方が価値があるのだと思っていた(かつてはこの社会で生きていくために上手に受け流そうと「努力」していた時もあった)。だから日本の保育園の保護者たちとはあいさつはするものの、この先娘が通う学校はあなたたちとは違うのだからと、意識的に表面上の付き合いに留めておいた。もし深く話し込んでしまったら、「朝鮮であること」を説明しなくてはならなくなるのだから。幸いにも「あいさつ程度の付き合い」に徹していると、〇〇ちゃんのママという立ち位置のみでいられるので、「自分が誰か」を問われることもなくなっていた…。

コミュニケーションに慣れる

ニョメン支部が主催するミニコンサートがあった。

分会でチケットを預かり、いろんな同胞に声掛けをしてチケットを販売した。私も同世代の同胞や、親戚に宣伝をしてみるものの、メールやラインでのお誘いではなかなかチケットは売れないものだ。当日コンサートは目標来場者を集め、大盛況に終わった。

後日、コンサートの総括で知ったのだが、オルシンたちは一人で20枚、30枚チケットをさばいたという。銭湯で会う人や、立ち話をよくするご近所さんなど、同胞はもちろん日本人の「顔見知り」に声をかけまくったそうだ。それに他の民族団体の同胞も結構集まっていた。

またもやニョメン新米の私は面食らうのである。それはオルシンたちの「世間」の広さにだ。

そもそも、私たち若い世代は、効率というものに支配され、非効率と思われるコミュニケーションをとらなくなるためのツールに頼り切っていた。だからよく知っている人への「お誘い」に比重が傾き、人との距離が明らかに遠くなっていた。それに何よりも、われわれが自分の考えに合う人だけで、コミュニティーを作ってしまっているのだと気付く。そうすると自ずと「世間」は狭くなる。

ある精神科医が言っていたが、世間の狭さは変化や異なることへの対応の弱さと繋がるそうだ。人間関係が緊密で少ないと、違う意見があるとそれが目立ち排除されやすくなる。仲間どうしではみな同じでなければならなくなる。つまり緊密さの中に入ることができない人が孤立し、排他性が生まれるそうだ。

反面、オルシンたちは長年のニョメン活動によってたくさん人と出会い、たくさんの人と話すことでコミュニケーションに慣れているのだ。だからこそ人が多様であることを知っているし、寛大に受け止められるのかもしれない。

もちろん昨今の社会政治的状況のなかで、日本人との対話に委縮することと、私たちの世代のコミュニケーション不慣れの問題を同じ次元で語ることはできない。しかし、先代たちが築いてきた連帯の運動経験は、私たちのコミュニケーション不慣れを乗り越えてこそ、受け継がれるのではないかと思う。

一番身近な社会運動

そんな中私は最近、保育園の保護者やご近所さんたちとたくさん語るようになった。それに積極的に「朝鮮であること」を「説明」している。

それはマンションの前の自治体の掲示板に「北朝鮮ネガティブキャンペーン」のポスターが貼ってあったからだ。この掲示板前は、近隣の公立小学校へ向かう子どもたちの集団登下校の集合場所である。また来年からウリハッキョに入学する、娘の送迎バスが止まる場所でもある。娘が日本の保育園でともに遊んだ友だちが同じ通学路ではなくとも、朝鮮人として学ぼうとする同世代のかのじょを理解し尊重するためには、悲しくもまずこちらから「発信」しなければならないのだ。

しかしこれはニョメン新米の私の、一番身近な社会運動かもしれない。

ご近所からの社会運動が変革の第一歩!

そう、近々開催されるハッキョのフェスタにもご近所さんたちを「お誘い」して、一緒に七輪を囲んでみようと思う。

(関東地方女性同盟員)

※オーガナイジングとは、仲間を集め、物語を語り、多くの人々が共に行動することで社会に変化を起こすこと。新時代の女性同盟の活動内容と方式を読者と共に模索します。

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