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長生炭鉱事故追悼碑

2013年02月04日 09:46 春・夏・秋・冬

山口県宇部市西岐波の海底炭鉱・長生炭鉱で落盤、水没事故が起こったのが1942年2月3日。犠牲者は183人にのぼり、そのうち136人が朝鮮人だった。犠牲者の遺体は引き上げられることなく、今も海底に眠っている春夏秋冬

▼長生炭鉱水没事故犠牲者の追悼碑の除幕式が2日、当地で行われた。追悼碑建設を進めてきたのは91年に結成された「長生炭鉱の“水非常”を歴史に刻む会」。追悼碑を作ること、証言を収集し残すこと、換気坑のピーヤを保存することを活動目的としてきた。会のメンバーのほとんどは普通の日本人で、20年以上自らの課題として取り組んできた

▼追悼碑除幕式のために韓国から16人、日本国内から4人の遺族が駆けつけた。犠牲者の子どもたちもすでに高齢だ。父親を亡くした後、塗炭の苦しみを味わいながら苦労を重ねて生きてきた。遺族たちは、碑完成を喜び市民団体が建設に奔走してきたことに心から感謝していた。その裏には何の責任も果たさない日本の政府や行政に対する憤りがある

▼遺体が眠る海を前に、砂浜にうずくまるようにして頭を砂につけながらおじぎをする遺族たちの姿に胸がつまった。遺族の願いは、海底から遺骨を探し出し故郷へ帰すことだ。しかしそれは、市民団体の力では不可能なことである。日本が侵略と植民地支配の過去と向き合い責任を果たす、そのことの必要性をあらためて遺族たちの姿から痛感した。(徹)

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