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〈中津川朝鮮人虐殺事件〉隠ぺいされた虐殺の歴史/日常的な暴力、リンチも

2022年12月27日 10:34 歴史

「人骨が段ボールひとつ分くらいでてきた」「歩いていると足に何か引っかかったので、持ち上げてみたら人の肋骨だった」。

中津川朝鮮人虐殺の現場近くに住んでいた住民らの証言だ。この問題を長らく研究してきた佐藤泰治さんが、住民たちへの取材を通して虐待の実態を明らかにしてきた。

過酷な労働と日常的なリンチにさらされたあげく、無残に殺された朝鮮人はいまもこの一帯に眠っている。新潟・中津川発電所建設での朝鮮人強制労働、虐殺と関連する場所を紹介する。(文・金紗栄、写真・韓賢珠)

殉職碑

JR十日町駅から車を10分ほど走らせると、現在は無人発電所となっている千住発電所がみえてくる。1930年代、朝鮮人労働者が犠牲になった現場だ。その近くに静かに佇むのが「殉職碑」だ。

今から50年ほど前、地元の高校教員だった佐藤泰治さんは「子どもたちの通学範囲だったので近くを歩いている時」に偶然この碑を見つけたという。

碑は1937年建てられた。裏面に記載された8人の「殉職者氏名」のなかには、朝鮮人とみられる「安七伏」の名が記載されている。

しかし、朝鮮人犠牲者に対する追跡や調査はされておらず、現在も死因や死亡年月などは明らかになっていない。

リンチ横行した「監獄部屋」

発電所建設当時、工事現場の近くには飯場があり、朝鮮人労働者らはそこでの生活を強いられていた。

中津川第1発電所(穴藤)から300mほど離れた場所に現在も朝鮮人飯場の跡地が残っており、かつてここは通称「監獄部屋」と呼ばれていた。

この場で朝鮮人に対する日常的な虐待が行われていたことは、近隣住民の証言を通じて明らかになっている。逃げた者を柱に結いつけて頭の毛を鉈で切ったり、同じ労働者らが見ている前で朝鮮人を叩いたりしたという。窓の外から虐待のようすを見た、殴られた朝鮮人が「アイゴー」と叫んでいたのを聞いたという目撃者もいた。虐待に苦しむ朝鮮人の叫びが頻繁に聞こえることから、この一帯は「アイゴ谷」と呼ばれるようになった。現在は廃墟となっており、当時の目撃者らも亡くなっているそうだ。

中津川第1発電所

朝鮮人虐殺を裏付ける証拠は、中津川第1発電所の再工事に携わった日本人労働者の証言からも見て取れる。

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