〈学美の世界46〉「余白」が織り成す美への共鳴/金順玉
2022年11月24日 15:27 寄稿広い「余白」に魅了されて。
余白というのは「空間」であってその空間の中に入って初めて「わかる」ことができる。
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真っ白い画面にビュービューと風が吹き、家の中で外の様子をうかがう少年。(作品1)
冬の寒さと静けさを体感した子どもの素朴な気持ちを真っ白い空間で表現してある。冬休みのある日、一人で留守番をする少年、(この風はいつ止むのかな?)と心の不安を白い部分がより一層搔き立てている。カタカタカタと窓が揺れる音でもするのだろうか、それとも吹雪が吹いて辺りが雪一面に広がっているのだろうか。余白が持つ印象が大きい作品である。少年の内面と場の様子をうまく表現した一枚だ。余白が広いと何か描き足したくなるような物足りなさを感じてしまうことは多々あるように思えるが、私はこの作品の「はみ出し」を子ども主体の「これでよい!、これで完成!」という主張が大いに私の感覚を上回るそんな一枚に思えて脱帽する。
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言いたいけど言えない、私の考えもあるのに…。この口を開けば…。
真っ白い画面の中にひらひらと浮かぶ細くうすい唇、画面の片隅に浮かぶ文字。「ハンタイデキナイヨワイクチ」(作品2)弱弱しくてどこかに飛んでいきそうだ。できればどこかに飛んでいきたい、そんな気持ちになる日もあるだろう。クラスの中の自分、立場、仲間、周り、友達など気がかりな事が多重に積み重なるこの時期。日々の生活の中で自己主張をうまく出来ない自分の弱さを率直に表現した作品だ。こんな時期もあったと子どものころを振り返る。自身のコンプレックスや「不・負・否」な部分を外側に表出すること=さらけ出すことは、すごく勇気がいることで時に辛いことでもある。しかし制作過程をじっくり設けることによって、内側に潜む新たな自分と対話し続けることによって、より深い自己発見に繋がるきっかけとなる事、多々であろう。その密かな喜びが白と淡い色調により美しく表現され、新たな自分に出会えた事にこの作品の「完成」を見る。
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ガタン、ゴトンと揺られながら(あー、今日も始まる…)という心の声が聞こえる(作品3)とてもユニークでおしゃれな作品だ。緑の画面にきれいな丸の白いつり革、主人公であるサラリーマンのネクタイはなんともおしゃれで映える。それとは対照的に気怠さの表情が何とも言えない。全体的な色調の組み合わせと余白の使い方がとても良い。余白が緑ということは、山手線か埼京線?そんな事を思いながら、シンプルな空間の中に潜む学生と大人の距離感が面白い。
朝から疲れ気味の大人は座り、元気な子どもは目の前で立ちながら社会を傍観するのだ。毎日、満員電車に揺られながら、そんな様子を眺める子どもは自分の未来をどのように想像し創造するのだろう。朝鮮学校に通う子どもたちの中には、初級部1年生から毎日、電車に揺られバスに乗り…を繰り返し通学する子どもがたくさんいる。幼い時に見る大人、思春期真っ只中で見る大人の様子は遥かに違うであろう。
「空間」に入るには、自分自身も一つの「空間」を内側に持っている必要がある。それが備わったとき、心の空間が共鳴し美を感じる。
(在日朝鮮学生美術展中央審査委員・東京第4初中美術教員)