平穏な街並みに思う
2022年06月10日 09:00 取材ノート 論説・コラム関東大震災の虐殺現場に居合わせたような追体験をした。
それは、「関東大震災時朝鮮人虐殺の事実を知り追悼する神奈川実行委員会」が主催する市民講座を取材した6月4日のことだった。関東大震災時の朝鮮人虐殺100年を来年に控え、日本で起きたこのジェノサイドが、軍隊、警察そして民衆が一体となって引き起こしたものだという事実を確認しながら、いまこそ国家と民衆の責任を明らかにしようと活動を続けている同団体。市民講座は、参加者がただ学ぶだけでなく、朝鮮人虐殺について自分事として考える機会にしようと、講演会とフィールドワークで構成された。
第1回目となったこの日、約50人の参加者たちは、代表の山本すみ子さんによる講演を聞いたのち、神奈川における朝鮮人虐殺現場の一つ、横浜・中村地区を歩いた。レクチャーの場で山本さんが語った「私たちは虐殺された朝鮮人とつながっている」という言葉。筆者にとって、その後に続くフィールドワークは、取材の傍ら、その言葉の意味を考える時間になっていた。
震災の大混乱のなか、難を逃れて川から丘の方へと向かう朝鮮人たち。まるで、その背中を見て巡るような感覚―。「橋の上で大勢の日本人が刀で切りつけ、鉄棒でたたき、槍でつつき、しまいには川の方へ放り込んでいた」。跡地をめぐりながら読まれるこれらの証言に、ドクドクと脈打つ心臓の音が聞こえた。
フィールドワークを終えて駅へと向かう道中、大勢の人々でにぎわう横浜の街並みが視界に広がった。この平穏さは、1923年のあの日には存在しない。
(賢)