公式アカウント

「共和国ポップス」から見る朝鮮の変化~平壌放送から牡丹峰楽団まで~/北岡 裕

2012年11月21日 09:43 主要ニュース 文化

某テレビ局のコピーをそのまま拝借するなら「きっかけは、平壌放送」。中学生のときはじめて平壌放送を耳にしてから、共和国ポップスとの付き合いは20年以上になる。スーツのポケットには300曲近い共和国ポップスの入ったMP3プレイヤー。「タンスメ(一気に)」を聴き、眦を決して都心に向かう満員電車に小さな身体をねじ込むのが私の日常だ。今年の夏には共和国ポップスについて「新聞・テレビが伝えなかった北朝鮮」(角川書店・小倉紀蔵編)という本を書く機会も頂いた。

筆者お気に入りの歌「もっと高く、もっと早く」の看板の前で(2010年、平壌)

みずみずしい歌詞

「先生、一緒に歌いましょう」。

2004年の冬。映画「ある女学生の日記」の主人公そっくりな女性歌手が私の前に立っていた。平壌の食堂の歌手だった彼女に「私の国が一番好き」などお気に入りの何曲かをリクエストした途端、彼女の表情が輝いた。数曲の歌を歌い終わるやいなや、駆けてきて私を誘った彼女の目。それまでの人生で、そんな切ない目で女性に見つめられたことなどなかった。平壌で突如吹いた一陣のモテ期の風。たじろいだ私は、ただただ狼狽して固辞してしまった。このことを今も悔やんでいる。

朝鮮語がわからなかった中高生の頃は、夜10時の報道のあとに流れる「あなたがいなければ祖国もない」、「金正日将軍の歌」の勇壮なメロディは、もうひと頑張りのカンフル剤だった。大学生になり少し朝鮮語を勉強して「愛国歌」の一番の歌詞、「朝は輝け」のあとの「黄金のめぐみ あふれ」の流れに、「朝鮮半島が鉱物資源の博物館と言われるわけだ」と頷き、「祝杯をあげよう」で唐突に出てくる「労働党がいいね」という歌詞に「ここで労働党か!」と唸った。ひとつひとつの歌詞を訳し、ただの音がことばに変わっていく過程はみずみずしく面白い時間だった。

ここ数年に限ってみると、私はマスコミが注目した「歩み」よりも「突破せよ最先端を」で出て来た英単語、CNCとプログラムに変化を予感した。金正恩第一委員長の4月15日の演説の最後の言葉を曲名とした「最後の勝利に向かって前へ」の中の白頭山大国という言葉に、「第一委員長の時代を彩る歌がついに出て来た!」と膝を叩いた。日本人の私には、共和国ポップスの歌詞に違和感を覚えることも多いが、違和感のわけを洞察し、歌詞の間から答えのようなものや何か意味を見つけた瞬間は本当に気持ちがいい。宝探しにも似た心地よい違和感へのアプローチ。今も私が、共和国ポップスを聴き続ける理由だ。

金正恩第一委員長が鑑賞した牡丹峰楽団公演(2012年7月6日、朝鮮中央通信=朝鮮通信)

異なる文化に敬意を

10年ほど前のこと。ある深夜番組をきっかけに共和国ポップスに注目が集まったことがある。だがその番組は共和国ポップスを面白おかしく、ただバカにし笑っただけだった。朝鮮に限らず、他国の文化に接して感じた違和感をバカにし笑うことはたやすいことだ。映像に大げさなテロップと耳障りな合成音声の笑い声をあて、お笑い芸人にでもテキトーなコメントをさせればバラエティ番組の一丁上がりだ。異なる文化を持つ人々がいる。そのことを知り互いに敬意を持ち、少なくともバカにしない。そんな最低限のマナーさえ持ちえないその番組には心底がっかりした。

さて、日韓関係を急速に縮めた中曽根総理大臣のエピソードがある。1983年の訪韓の際、中曽根総理は韓国語でスピーチを行い、全斗煥大統領との宴席で往年の流行歌「黄色いシャツの男」を歌い、大喝采を浴びたという。少しいやらしい書き方をするなら、音楽は朝鮮民族の弱点だと私は思う。全斗煥大統領然り、平壌の食堂の女性歌手然り。政治と外交に期待が持てない今、奇抜かも知れないが音楽を突破口に交流を図れば、日朝間はもちろん、世界と朝鮮との距離をも大きく縮めることが出来るのではないだろうか。

この点に既に朝鮮は気づいた感がある。2012年3月には銀河水管弦楽団がパリ公演を行っている。女性メンバーだけで構成された牡丹峰楽団も素晴らしい。戦勝節公演での「我らの7.27」の開放的なアレンジと彼女たちのセクシーな衣装には驚いた。しかもこれらの映像は今、YouTubeで見ることが出来る。雑音混じりの平壌放送が唯一の接点だったころとは大違いだ。また英国、ベルギーとの共作映画「金さんは空を飛ぶ」を釜山国際映画祭に出展するなど、最近の朝鮮の世界を意識し、自ら門戸を開き出て行く姿勢は目立つ。

韓国では「PSY」(サイ)が元気だ。「江南スタイル」と珍妙な「馬ダンス」は世界を席巻している。朝鮮も世界へ魅力的な共和国ポップスをはじめとする文化を発信して行く今の姿勢を維持して欲しい。ただひとつお願いしたいのは、世界におもねらず、安易な奇抜さに走らないこと。堂々とした「平壌スタイル」や「千里馬ダンス」。それを私は見たい。

堂々と。これは私の課題でもある。今度こそ「先生、歌いましょう」と麗しい女性歌手の誘いの言葉に頷き、歌うのが目標だ。  いつか来るその日のために。今日も私は共和国ポップスのリスニングに余念がないのだ。

(著述業)

Facebook にシェア
LINEで送る