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歴史に燦然と刻まれる功績/切手と振り返る平壌市建設史

2021年06月28日 14:46 主要ニュース 経済 共和国

2025年の完工をめざして5万戸の住宅建設が急ピッチで進む平壌市。祖国解放戦争(朝鮮戦争/1950~53年)で米軍の攻撃により廃墟となった平壌市だが、停戦後から現在に至る首都建設においてはさまざまな功績が打ち立てられてきた。平壌の建設史を、首都建設をテーマとした切手とともに振り返る。

住宅建設をテーマにした朝鮮切手

千里馬大高揚の中で/1950~60年代

平壌の栄光通り、勝利通り、青年通りをはじめとする住宅地建設が本格的に始まったのは、1958年からだ。背景には1956年12月、金日成主席による降仙製鋼所(現在の千里馬製鋼連合企業所)視察を契機に全土に広がった千里馬運動がある。

青年通りの住宅地区(1950年代)

住宅建設事業においては、セメントと鉄筋、クレーンをはじめとする建設機械を自力で生産できるようになったことを踏まえて、新しい工法である「組み立て式工法」の導入が党の方針として示された。新しい工法とは、部品、構造物などを工場などの別の場所であらかじめつくったうえで建築現場で、クレーンなどの機械を用いて組み立てる工法で、当時は建設速度を高めてコストも抑えられるばかりか建設の質も高められるとされていた。金日成主席は1957年10月、党中央委員会総会において組み立て式で建設を進め、建設で一大変革をもたらすよう強調した。

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