〈愛知無償化裁判〉朝鮮高校にも差別なく無償化適用を求めるネットワーク愛知が声明発表
2020年09月05日 12:27 主要ニュース朝鮮学校を高校無償化の対象に指定しなかったのは違法だとして、愛知朝鮮中高級学校の生徒(現在は卒業生)10人が原告となった国賠訴訟で、最高裁第2小法廷は、9月2日付で原告側の上告を退ける決定を下した。
これと関連し5日、朝鮮高校にも差別なく無償化適用を求めるネットワーク愛知が声明を発表した。
以下、声明全文。
愛知無償化訴訟・上告棄却を受けて
2020年9月2日、愛知朝鮮中高級学校の高級部に在籍していた生徒10名(現在は卒業生)が就学支援金不支給は違憲、違法として提起した国家賠償請求訴訟について、最高裁判所第二小法廷は、原告らの上告を棄却し、上告受理申立を受理しないとする決定を出しました。
本訴訟は、原告10名が日本国を相手に「高校無償化」から朝鮮高校を排除することは不当だとして、2013年1月24日名古屋地裁に提起したことに始まるものです。その5年3ヵ月後(2018年4月27日)に名古屋地裁が、そして、その1年半後(2019年10月3日)に名古屋高裁が、いずれも原告側の訴えを退けました。そして、原告たちが最高裁に上告していたのですが、9月2日付の棄却をうけ、愛知の無償化訴訟は敗訴が確定しました。
本上告棄却に関する最高裁の通知には「本件上告の理由は、違憲及び理由の不備をいうが、その実質は事実誤認又は単なる法令違反を主張するものであっ て、明らかに」上告理由に該当しないので、上告受理申立ての理由についても、「本件申立ての理由によれば、本件は、⺠訴法318条1項により受理すべきものとは認められない」と記され、本事案についての具体的な理由は一切記載されていませんでした。原告の主張は一顧だにせずに、棄却だけを伝えてきたのです。
愛知の無償化訴訟では、日本と朝鮮半島の近代史、在日朝鮮人の歴史、朝鮮学校の歴史、在日朝鮮人に対する差別、「北朝鮮嫌悪」の問題など、本件の問題の根底にあるものを丁寧に論じてきました。また、原告全員および原告保護者が意見陳述を行い、在日朝鮮人にとって朝鮮学校という場がいかに大事な場であるかを述べました。さらには、口頭弁論のたび、毎回、200名〜230名の方が80弱しかない傍聴席を求めて抽選に並び、裁判の行方を見守ってきました。とにかく、この問題が単なる「お金の問題」ではなく、日本に未だに根強く存在する「植⺠地主義」の問題であること、原告たちにとっては、自分の存在と尊厳をかけた訴訟なのだということを懸命に裁判所に(そして社会に)訴えてきました。しかし、その訴えは裁判所には届きませんでした。
地裁、高裁、最高裁ともに「不当判決」であり、私たちはこの判決に断固抗議します。これらの判決は「教育機会の均等」を謳った「高校無償化法」の趣旨に反するばかりか、憲法によって守られているはずの「精神の自由」をおびやかし、さらに、国際条約(人種差別撤廃条約・子どもの権利条約)にも違反しています。朝鮮学校や朝鮮学校に通う生徒に対する差別を追認するもので、断じて許すことはできません。
しかしながら、一方で、愛知の無償化訴訟の判決は、私たちに大きな課題をつきつけてきました。上述のように、愛知の訴訟は、真正面から歴史問題や朝鮮学校の存在意義を法廷で展開したため、地裁の判決では、朝鮮学校の存在意義を認めました。朝鮮高校の教育レベルが一定の水準を保ち、在日朝鮮人の子どもたちのアイデンティティ育成には非常に大事な場であることも認めています。それにもかかわらず、被告・日本国が裁判の途中から出してきた「論理」、すなわち、「朝鮮高校は総聯および北朝鮮から不当な支配をうけている可能性がある」ので「教育基本法16条1項の『不当な支配の禁止』規定に違反する可能性がある」という主張を支持したのです。被告・日本国は、この主張の証拠として、高校無償化の適用可否の判断に当たって考慮しないものとされていた朝鮮高校の教科書の記述や教育活動の内容にかかわるものを提出し、朝鮮高校の教育のうち朝鮮⺠主主義人⺠共和国(朝鮮)の立場に基づく部分をことさらに取り上げ、日本政府と異なるその立場が「偏って」いるものであるかのように印象づけたのです。
このような判決は明らかに、行政が教育に「不当な支配」を理由に介入することを容認した、日本の教育の自由を考える上でも非常に問題のある司法判断です。しかし、この批判だけで朝鮮学校の権利は守られるのでしょうか?私たちが今一度考えるべきは、日本社会に生きる私たちにしみついた「北朝鮮」に対する眼差しです。名古屋地裁の判決も、結局は「北朝鮮」を悪魔化する見方から自由になれず、朝鮮について朝鮮の立場で教育をすることを問題視し、被告・日本国の主張を認めたのです。朝鮮学校が朝鮮との関係を密接に持ち、そして、朝鮮を<祖国>として、朝鮮学校の大事な支柱としていること。これを丸ごと、在日朝鮮人の権利として認めていくような社会を形成することが私たちの課題として突きつけられたのです。
名古屋地裁の判決は「差別はよくないが、朝鮮学校にも問題がある」いや「朝鮮学校にも問題があるが、差別はよくない」というような日本社会にある「良心」を体現したもので、それを名古屋高裁も支持、そして、最高裁も結果としては認めたことになります。
「不当判決!」という言葉で司法を断罪することは簡単です。しかし、これは司法だけの問題ではなく、日本社会全体の問題であることはいうまでもありません。私たちの課題は、これを思想的にどう乗り越えるかです。
愛知の無償化訴訟は、朝鮮学校と朝鮮の関係を単に歴史に迂回するだけでなく、<今>を問いました。朝高生はなぜ朝鮮に修学旅行に行くのか、朝鮮学校は、なぜ分断国家のうち北側の朝鮮を「正当な国家」としてみなすか。
このような問いなしでは、この無償化排除という差別問題の根本を見ることができないと考えてきたからです。しかし、その戦略は、裁判所には、そして、日本社会には十分には通じませんでした。しかし、私たちは諦めません。敗訴は敗訴として真摯にうけとめながらも、在日朝鮮人が朝鮮学校で学ぶという当たり前の権利を獲得するために闘い続けます。私たち“朝鮮高校にも差別なく無償化適用を求めるネットワーク愛知“は、判決が突きつけてきた課題に向き合いつつ、今後、⺠族教育の未来をともに作ることができるような社会の形成に努力を絶やさないことを誓います。
2020年9月5日
朝鮮高校にも差別なく無償化適用を求めるネットワーク愛知