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〈それぞれの四季〉「怒りん坊」な私/崔蓮華

2020年08月19日 10:48 コラム

高校生の時、友だちに「怒りん坊だよね」と言われるまで、私は自分のことをおおらかで心優しい人間だと思っていた。私は怒りん坊である自分を気に入っている。まず言葉の響きが可愛いく、なにより友だちは「そんなところが大好きだよ」という顔をしていた。

振り返れば、他者より「怒り」を素直に表現してきた。私が通った日本学校には200人ほどの同級生がいたが、先生と対等に「喧嘩」をしているのは私だけだった。大人が不平等や理不尽を押し付けてくることが、どうしても我慢できなかったのだ。逆らってもねじ伏せられると分かっていても、心臓をバクバクさせながら、汗まみれの拳を震わせながら意見をぶつけた。

そんな私を可愛がってくれる先生もいたが、「あなたの言っていることは正しいよ。でも大人になったら理不尽なことばかりだから」というばかりだった。

それでも、怒りん坊の私であり続けることが大切な気がした。怒りを失ったら、自分が自分でなくなる怖さもあった。なによりも怒って喧嘩をしても、受け止めてくれる友だちや家族の存在があった。

大学生になり、教授から文書を作成して記録を残すことや、負けてもたたかい続ける気持ちなどを学んだ。この先も誰の言いなりにもなりたくない。おかしいと感じたものには、怒りん坊な自分を前面に押し出したい。怒りは「変える力」をもつと信じている。まだ何も変えられたことはないけれど。

(岐阜県在住、特別支援学校教員)

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