〈取材ノート〉連動する姿勢
2020年01月24日 11:12 コラム群馬朝鮮人追悼碑訴訟の控訴審が、3月に結審する見込みだ。
前回の第4回口頭弁論でのこと。鮮明に頭に浮かぶのは、開廷中、ほかの傍聴者らも目にしたであろう、県側の弁護団の一人が寝落ちしていたこと。その光景は、反省はおろか社会問題化する事案の裁判当事者となった訴訟に対し、地方行政がどのように取り組んでいるのか、姿勢そのものを表していた。
他方で、先日、ヘイトスピーチをした団体や個人名を公表することを決めた大阪市の条例が、表現の自由の侵害で「違憲」だとして、市民8人が吉村洋文元市長(現・大阪府知事)に対し、公金支出計約115万円を返還するよう求めた訴訟の判決があった。大阪地裁は市の条例を「合憲」と判断し、請求を棄却。判決を受け、大阪市の松井一郎市長は「生まれた場所や国籍で、その人の存在価値や意義を否定するような表現が、この世界からなくなってくれればいいと思う」などと述べた。
しかし、市長の言わんとする核心は何なのか疑問でしかない。ヘイトスピーチを一体どのように理解しているのか。いうなれば、先頭を切って大阪が行った朝鮮学校への補助金支給の見直しと教育内容への介入は、その人の存在価値や意義を否定することではないのか。
それはそれ、これはこれといった「区別」のロジックで、差別を正当化するこの国の政治・行政。自らが、社会的弱者たちにあらゆる生きづらさを強いる現代日本を形づくっていることへの危機意識は、まるでない。
(賢)