〈取材ノート〉セウォル号惨事から4年
2018年04月16日 08:00 コラムセウォル号惨事に関する朴槿恵前大統領「空白の7時間」の行方が波紋を呼んでいる。
14年4月16日。最初に事故が申告された8時54分から、船が180度傾き救助不可能となった10時17分まで、朴槿恵は事故について知らなかったことが、検察が発表した「セウォル号事件青瓦台報告操作疑惑捜査結果」から明らかになった。
青瓦台首脳部がテレビを通して、事故発生を知ったのは9時19分。国家安保室傘下の危機管理センターは状況報告書を10時に作成。秘書室長は官邸にいた朴槿恵の携帯を2回鳴らしたが反応はなかった。危機的な状況にも関わらず、官邸スタッフは報告書を無言で朴槿恵の寝室前の卓に置いた。それが疎通を嫌う朴槿恵の「慣習」だった。
「大統領!」秘書官の数回にわたる呼びかけの末、ようやく寝室のドアが開き、この日最初の指示が下されたのは、救助可能な時間をとうにすぎた10時22分だった。14時15分、崔順実が官邸を訪れ、会議を開き、大統領の中央災難安全対策本部訪問を決定。朴槿恵は美容師を呼び、髪をセットした。「皆、学生たちは救命チョッキを着たというのに、そんなに発見が難しいのですか?」。17時15分、本部に姿を現し、放った第一声だった。
6日、ソウル中央地裁は、朴槿恵の16の容疑を有罪とし、懲役24年を宣告。しかし、セウォル号惨事と関連した内容は弾劾・起訴内容からは除外された。
事件は、遺族・生存者のみならず、南の社会に大きな影を落とした。救命士の道を志すある生存学生は「沈没の理由はいまだ明かされていない。まだ(事件は)終わっていない」と語った。
事件と関連し、側近たちは起訴されたが、304人の命を奪った事件の「コントロールタワー」である朴槿恵だけが罪を問われない皮肉な状況が続く。事件の真相究明と「不誠実な職務遂行」の責任は追及されなければならない。
(宥)