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“植民地過去清算のために連帯を” /  朝被協・金鎮湖会長

2025年08月13日 09:00 在日同胞 社会 歴史

「祖国解放後、在日同胞は日本でどのように生きてきたのか。一言で言うと、それは差別、偏見、蔑視との闘いだった」―広島県朝鮮人被爆者協議会(朝被協、1975年結成)会長の金鎮湖さん(79)はそう語る。

金鎮湖会長

広島県で生まれ育ち、小中高と日本の学校に通った。金さんは「私が小中学生の頃、親は字の読み書きができないし、朝鮮人はすぐケンカをすると言われていた。さらに、生活費を賄うためどこの家庭でも豚を飼っていた。そのため、朝鮮人と言えば『バカ』『野蛮』『汚い』という認識が一般化していた」と苦虫を噛み潰したような表情で話す。

20歳で朝鮮語を覚え、総聯の専従として活動を始める。自身が胎内被曝だと知ったのは中学生の時だった。被爆の影響から変形性膝関節症があった。60代で3度の肝臓手術を経験。総聯広島県本部委員長の職から退いたのち原爆健康手帳を取得した。

手術によって金さんの健康状態が回復した一方、朝被協の李実根会長(故人)は身体の自由が利かなくなってきていた。「会長がこれまで積み重ねてきたものを必ず誰かが継承していかなければいけない」―その思いから、2014年から活動を実質的に引き継ぎ、20年に李さんが亡くなった翌年、会長に就任した。

昨年末、日本原水爆被害者団体協議会(被団協)へのノーベル平和賞授賞式がノルウェーで行われた。

金さんは、被団協の田中熙巳代表の演説には「大きな穴」があったと話す。「一つは世界が注目する場で、原爆を投下した米国政府の責任を追及する文言が一言も入ってなかったこと。核兵器をなくす第一歩として、米国が間違いを認め、謝罪することから新たな対話が始まる。そして、在朝被爆者の問題。日本以外に住む被爆者も国内と同様の援護を受けられると断言したが、在朝被爆者はいまだに放置されたままだ」と語気を強める。

「日本には160余りの朝鮮人追悼碑が建てられている。それらは、すべて日本の植民地政策に起因する。被爆者の多くは高暮ダム建設(広島県庄原市)に強制連行されてきた労働者で、長生炭鉱(山口県宇部市)の労働者も共通点は、植民地支配がなければ犠牲にならなかったということ。朝鮮人被爆者の問題に取り組むだけではなく、関連諸団体と連携し、植民地過去清算に向けて活動していく必要がある」

来年1月で傘寿。いまは娘の訪問治療の仕事を手伝いながら、朝被協会長と総聯本部顧問として忙しい日々を送る。

(朝鮮新報)

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