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ニョメン・オーガナイジング⑭「選挙ヘイト」の中で暮らす/文・イラスト=張歩里

2025年07月30日 08:40 ニョメン・オーガナイジング

恐怖心が先に

私の居住地域はアジアのさまざまな国や地域にルーツを持つ人々が多く暮らしている。うちの子どもが通う小規模保育園も、三分の一くらいが外国ルーツの子どもたちである。

現在日本に在留する外国人数は376万9千人で、過去最多を更新したという。しかし今回の参議院選挙では「外国人が優遇されている」「治安を悪化させている」といった、根拠のないデマが流され、外国人を敵視する排外主義が日本社会で拡大した。

私自身も娘と一緒に駅前を歩いているときに「外国人が犯罪を繰り返しても野放し状態」というヘイトスピーチを目の当たりにした。その候補者が「朝鮮人」という言葉を発するたびに、初級部1年生の娘が何度も拡声器の方を振り返っていた。

私は早くその場から逃げ去りたい気持ちでいっぱいであった。ウリハッキョに通いだし、初めてウリマルを学ぶ喜びから、誰にでも自慢して回るかのじょに、朝鮮人であることを否定する汚い言葉なんて浴びさせたくはない…。そりゃこの子たちもいつかは、日本社会における差別問題の実像を直視することになるだろうとは思っていたが、正直、こんなにも早く公の場で経験するとは思ってもみなかった。こうも堂々と外国人への憎悪を煽るような言動がなされるようになったのかと、保護者として怒りよりも先に恐怖心を覚えた。

不特定多数に向けられるヘイトスピーチは、「誰に向けられているかわかならない」がゆえに、それが自分にも、大切な誰かにも向けられるのではないかという、「相手の見えない」恐怖心を強化するのだ。

命の危険にかかわる問題

田舎に住んでいた数十年前も、公衆便所や町の電柱に朝鮮人という落書きが書かれているのを何度か見たことがある。書いた人はどこの誰だかわからないが、一人でばれないように書いて、逃げるというたぐいの、差別表現であった。

中学生のときチマ・チョゴリ通学で初めて蔑む視線や心無い言葉を浴び、これが日本で朝鮮人として生きることなのだと理解した。「万景峰92」号で新潟に降り立ったときに浴びた罵声に、美しい祖国での宝物のような思い出が傷つけられた気がした。

本来子どもは、安心で安全な環境で、学び成長する権利を持っているが、ほとんどの在日朝鮮人児童は生活圏の中で、あるいはメディアを通して差別を見聞きしてきたのだ。

大学生の頃、在特会が結成され各地で差別街宣が繰り広げられ不穏な空気が漂うなか、ついに在特会による京都朝鮮第1初級学校(当時)への襲撃事件が起きた。その時学校にいた子どもたちや先生、保護者の気持ちを思い、怒りと憤りで涙があふれ出た。

一方で、ヘイトスピーチの問題は啓発で事足れとする問題ではなく、それは即時的な暴力であるのだから、法で禁止すべきことなんだと先輩方の闘いで知った。しかし、今やヘイトスピーチは公選法に守られながら、テレビやネット、街中で溢れかえっているし、それを受け入れる土壌も一気に広まった。

本当に気が滅入っている同胞が、いや、恐怖に怯えている同胞がたくさんいるはずだ。

ニョメン訪問事業をすると、日頃から朝鮮人としての存在証明をして生活をしている同胞は年々少なくなっていることが分かる。多くは学校や家庭、地域社会で通称名を使用したり、あるいは使い分け、場合によっては朝鮮人と認知されないように生活する同胞が大半かもしれない。そんな同胞たちが「選挙ヘイト」に抱く感情は、また想定するリスクはいかなるものであろうか。

外国人に対する膨れ上がる憎悪は、自身の命の危険にかかわる問題となって押し迫っているかもしれない。

昔からの「公」による上からの朝鮮人差別が、悪質な選挙ヘイトをする排外主義者たちとの間で循環し、増幅していく恐ろしさを感じとっているはずだ。

それに、暴力の恐怖と不当に扱われることという経験から、同胞女性のほうが敏感にその危機感を感じとっているかもしれない。

ニョメン活動をするうえで我々は、反差別の規範がないこの現状、また危険性に対するシビアな認識が必要だ。

他方で、長期の経済低迷や格差の拡大など、本来は日本の政治が責められるべきで、外国人への攻撃は「問題のすり替え」であることをはっきりと自覚しなくてはならない。分断や対立を煽る言説を見抜いていかないとならないのだ!

「それでも」より良い社会を

昨今、容姿や生活慣習など、在日朝鮮人よりも「他者性」が際立ちやすい新定住者の隣人らが、地域社会での摩擦や、日本社会からの同化圧力をより強く痛感しているだろうと、憂うことが多い。普段から仲良くしている日本の隣人たちが、外国人「優遇」などというデマを広げている政党や政治家に投票をしていないか、どうしても不安になってしまう。

だからといって「きちんと税金納めているから」という反論はしたくない。どんな朝鮮人であろうと高校無償化制度から除外される理由がないのと同じで、私たち外国人の「いのち」が日本社会への有用性でその存在意義を判断されてたまるものか!

様々な差別経験をしてきたからこそ、レイシストが人間としての存在を否定するからこそ、私たちは他者の存在を否定しないし、「連帯」の力を信じていかなくてはならない。そう、我々は在日朝鮮人運動を通して、不当すぎる差別のなかでも、「それでも」より良い社会を目指すことを学んできたのだから!

(関東地方女性同盟員)

※オーガナイジングとは、仲間を集め、物語を語り、多くの人々が共に行動することで社会に変化を起こすこと。新時代の女性同盟の活動内容と方式を読者と共に模索します。

(朝鮮新報)

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