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ニョメン・オーガナイジング⑫5・25書簡におもうこと/ 文・イラスト=張歩里

2025年06月13日 08:58 ニョメン・オーガナイジング

未曽有の道のりだからこそ

2025年5月25日。在日本朝鮮人総聯合会結成70周年を迎えた日、金正恩総書記が総聯活動家と在日同胞に寄せた書簡を読み、胸を熱くした同胞は少なくはないであろう。

青二才の私ですらジーンと込み上げるものがあった。今はこの世にいない無数の活動家たちや恩師、先輩たちの埋もれていたものが、すうーっと日の目をみたような感覚があった。

改めて先代の努力や真摯な姿勢が歴史となって認められ評価されたようであった。

「結成世代の愛国精神を受け継いで、在日朝鮮人運動の偉大な新しい歴史を記していこう」と題する書簡に、次のようなくだりがある。

「私は、資本主義の日本でいかなる試練や難関が横たわってもひるむことなく、組織的基盤をさらに磐石のごとく打ち固めて愛国事業を大胆に展開する総聯活動家と在日同胞の姿を見るたびに、総聯に対する自負と共に、どこの国の海外同胞も歩めなかった未曽有の道を屈することなく歩み続けた総聯の結成世代に対する尊敬の念でおのずと胸が熱くなります」

総聯70年の歩みは、同化圧力への抵抗の70年ともいえるのではないか。

私がこの世に生まれて育った時間軸だけでみても、日韓米の攻撃的な軍事同盟は年々強化されているし、あたかも朝鮮が襲ってくるかのような物言いで、政治的に「偏見」「蔑視」が熟成されていった。旧植民地でもあり、社会主義国家でもある朝鮮はいつも「悪魔化」の対象となり、日本という国が朝鮮とどのように関わっているのかという関係性や歴史性の問題はただただ隠蔽されていた。それと同時に、在日朝鮮人のためにも、総聯のような不穏な民族団体との関係を断つべきという論調は後を絶たない。

まさに日本には「好ましい在日朝鮮人」と「好ましからざる在日朝鮮人」が存在し、私たちは70年間、後者であったのだ。だからこそ差別と弾圧の端的な対象であった「総聯同胞」は「未曽有の道」を歩んできたのだ。

書簡とアボジと私

かなり個人的で感覚的ではあるが、私にとっては書簡の文面は、植民地時代に日本に渡ってきた1世のハンメ(祖母)が解放後ニョメンと歩んで来た苦難の道のりが刻まれているようであったし、そして総聯活動家として生きたアボジ(一昨年に他界)の青春、そして生涯貫いた志がそのまま刻印されているようであった。

総書記は書簡で次のように述べている。

「…同胞社会で誰よりも苦労するのは総聯活動家です。

一歩だけ退けば自分のための人生を生きることができるが、祖国と組織に立てた誓いを守って、時には近しい人に理解してもらえないながらも、陰日向なく同胞のために献身する愛国者中の愛国者がわれわれの総聯活動家です」

地方の名もなき総聯活動家のアボジの「死」に対して私はなぜか整理しきれないものがあり、ずっと心につかえていた。それは「父の死」という点より、「総聯活動家の人生」を、ただ「立派だ」とか「美談」としてのみ語らない身内がいたからだ。

私自身も幼い頃から「総聯の活動」=「苦しい生活」の根本原因と思っていたし、母への同情の念からか、アボジには反抗しかしてこなかった。そもそも無数の在日同胞家族で起こる犠牲や衝突は主観的な領域でのみ語られ、怏々として親子や夫婦の亀裂を生んできた。父の活動家としての半生がどうだったかなんて語れるほどその内容をよく知らない娘であったため、あまりにもあっけなく見送ってしまったのだ…。

しかし、いま私は、この書簡の行間に様々な思いを巡らせ、今では歴史書の1ページを飾る事柄たちに、アボジのような活動家たちの「生活」があったのだと想像することができる。抵抗の歴史の真ん中で懸命に生きた先輩方の、数えきれないほどの小さな献身的活動が、歴史叙述を乗り越えて「あったもの」として蘇るのだ。こう感じ取れるのも、ニョメン活動を通じてそうなった部分が大きく、本の勉強だけしていたらこうは捉えられなかったと思う。そう、「なるべくしてそうなった」のだ。ニョメンで第二の青春を送る私の人生、それはアボジや先代の活動家たちがいたからこそのものだ。

受け継ぐべきもの

総聯の活動家たちは反帝・反植民地主義のポジションを貫いてきた。活動家たちが持っていたこのような政治意識と、在日同胞の生活は切り離して考えられない。むしろ活動家たちはこの両方を結び付けるために奔走した。

もちろん、ニョメンもそうである。日々生活に追われる在日朝鮮人女性たちが、自身の真の解放を祖国の「民主完全自主独立」と結びつけて考え活動した結成初期の理念と精神は、しっかりと受け継ぐべきもの。

書簡では、運動の草創期女性活動家として金恩順、朴静賢ソンセンニムの名が挙げられていた。この方々が在日朝鮮人女性運動の初雪の道に足跡を残した年齢は、今の私とほぼ同じ30代後半だった。もう若手という言葉に甘えてはいられないな、と改めて身の引き締まる思いだ。「反帝・民族自主」を貫いてきた祖国と総聯の姿勢は、これまで以上に歴史的意味を持つはず。だからこそ総聯結成80周年に向かってしっかりと前進し、新たな「足跡」を刻もう―、行く手は決まっているのだから。

(関東地方女性同盟員)

※オーガナイジングとは、仲間を集め、物語を語り、多くの人々が共に行動することで社会に変化を起こすこと。新時代の女性同盟の活動内容と方式を読者と共に模索します。

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