〈金剛山歌劇団沖縄公演〉伝統芸能を継ぐ逞しい姿に涙/47年ぶりに沖縄の地で【詳報】
2025年02月03日 13:25 文化・歴史金剛山歌劇団50周年記念沖縄公演(主催=同実行委)が1月30日、沖縄県那覇市の那覇文化芸術劇場なはーと大劇場で催された。
この日の公演を、総聯中央の徐忠彦副議長兼国際局長、総聯福岡県本部の李光鎬委員長、総聯鹿児島県本部の李清敏委員長、金剛山歌劇団の金正守団長、実行委員会の白充、親川志奈子両共同代表のほか、沖縄公演を一目見ようと遠方から訪れた同胞、県内各地から駆けつけた沖縄の市民、国会議員と県議会議員、市議会議員、沖縄県および地元のメディア関係者ら約1100人が観覧した。
47年ぶりとなる沖縄公演への注目度は高く、劇場内は開演前から賑わう来場者たちで熱気に包まれた。公演に先立ち、沖縄県の玉城デニー知事から送られた祝電が紹介された。玉城知事は「朝鮮半島の伝統的な民族芸能を継承、発展に取り組んできた」金剛山歌劇団への敬意を表したうえで、この日の公演が「それぞれの郷土に根付く伝統芸能の継承・発展の重要性や誇りを感じる機会となり、文化の交流がより深まることを期待する」とのメッセージを寄せた。
公演は、沖縄県立芸大琉球芸能専攻OB会のメンバーによる特別ステージで幕開けした。三線、笛、胡弓、琴、太鼓からなる5つの楽器を中心に編成される沖縄音楽。ステージ上では、これら独特の音色を響かせる楽器の紹介と演奏、「かぎやで風」(かじゃでぃふう)などの古典舞踊が次々と披露された。楽器紹介の最後に「アリラン」の演奏が披露されると、場内からは感嘆の声があがった。
その後、公演は歌劇団の演目へと続いた。
「沖縄の皆さま、アンニョンハセヨ。ハイサイ グスーヨー チューウガナビラ(どうも皆さん、こんにちは)」。
司会の金明姫さん(功勲俳優)がそう挨拶すると、満席の場内は割れんばかりの拍手に包まれた。公演は、オープニング「道」にはじまり、舞踊「山河を舞う」、チャンセナプ独奏「われら幸せを歌う」、民謡メドレーなど24年度巡回公演のテーマ「道」にちなんで、歌劇団のこれまでの道のりを表すような、選りすぐりの演目群で構成された。
また、今公演で特別に披露された男声独唱「トラジの花」では、人民俳優の李栄守さんが弾き語りをした。1994年に沖縄のシンガーソングライター・海勢頭豊さんが作詞作曲したこの曲は、1977年4月23日、本紙のインタビュー記事を通じて日本軍性奴隷制被害を告発した裴奉奇さんへ捧げる鎮魂歌で、朝鮮語の歌詞は金団長が海勢頭さんから依頼を受け、つくったものだ。終演後、観客から聞かれるコメントの中で、最も印象的だったとの声が多くあがった同演目。裴さんの痛みに心を寄せた歌詞と旋律、また李栄守さんの歌声に、場内からは、すすり泣く声が聞こえ、あちらこちらで涙をぬぐう姿がみられた。
公演のラストを飾った民俗舞踊「農楽舞2024」は、舞踊手たちによる迫力満点のパフォーマンスが繰り広げられ、この日一番の盛り上がりをみせた。
またフィナーレでは、代表的な沖縄民謡「てぃんさぐぬ花」を全出演者と観客が共に歌い、会場全体が一体となる中で、歴史的公演の幕が閉じた。
「またすぐに観たい。沖縄で待ってるよ!」とステージに向けて叫ぶ人、「この感動を聞いてほしい」と記者に駆け寄る学生、「本当によかったね」と言いながら会場を後にする親子…。閉幕後もしばらく余韻に浸っていた多くの観客たちは、在日朝鮮人のプロアーティストとして、民族伝統芸能を逞しく引き継ぐ団員たちの珠玉のステージに魅了され、いつまでも拍手を送っていた。
“きょうだいのような関係を”/観客たちの声
「沖縄にきて、この歌を歌ってくれて期待以上の熱演だった」
招待席で自身の曲を披露する李栄守さんを見守っていた海勢頭豊さんは、30年ぶりに会う旧友のステージに興奮冷めやらぬ様子だった。
海勢頭さんは沖縄公演について「金剛山歌劇団がこんなに頑張っているんだということを、もっと皆に伝えないといけない」と熱を込める。そのうえで「沖縄は被害者でもあるけど加害者でもあった。そういう反省も含めて、また昔そうだったように、朝鮮の人たちときょうだいのような平和な関係をつくっていかないと」と述べ、今日の公演をきっかけに積極的な交流が始まることを願った。
津波古朝子さん(35)はこの日、母親とおばの3人で観覧した。「朝鮮舞踊で使われる太鼓が、沖縄の太鼓『ぱーらんくー』に似ていたし、踊りながら叩く姿はとてもすごかった」「まるでボードに乗っているような(舞踊手たちの)足の小刻みな動きにびっくりした。初めてきたけど、最高でした!」。
鍼の仕事をする津波古さんは、普段治療のため自身の職場に訪れる白充夫妻から紹介を受け、会場にやってきたという。共にきた2人が感動を口にする中、津波古さんは「日頃から接している『北朝鮮報道』のイメージが先行してしまっていたが、こうして朝鮮の文化を目にするとそこの文化も人もより近く感じる」と述べ、「知らないものを知れました」と感謝を口にした。
南城市から来た小池喜代子さん(80)は、沖縄タイムスの記事を読みチケットを購入した。実行委に問い合わせた際、すでに1・2階席が満席だと聞き落胆したという小池さん。「当然だけど沖縄とは違って特色がある。衣装も踊りも素晴らしく、もっと早く出会いたかった」。
今回の公演では、同時期に沖縄実習を行っていた朝鮮大学校の学生と、現地の大学生たちが共にスタッフとして力添えした。
そのうちの一人である沖縄国際大学3年の宮城汐里さんは「生まれ育った環境が違くとも音楽を通して拍手を送ったり、歌い合ったりできて感動した。自分たちも文化や歴史を継承していかなければいけないと思った」と語った。
一方、会場には、沖縄公演を応援しようと、遠方からもたくさんの同胞たちが駆け付けた。総聯新潟県本部の朴載達顧問(80)は月刊『イオ』に掲載された記事を読み、寄付をしたという。「沖縄でやるのは大変なことだと思っていたが、後日チケットが完売したと聞いて、これは観に行かなくてはと思った」。歴史的な公演に立ち会いたいとの思いで観覧を決めた朴顧問は、「祖国への思い、そして民族心を脈々と繋いでいることが歌劇団の魅力だ。またそんな歌劇団の公演を沖縄の地であげた実行委員会に心からありがとうと言いたい」と話した。
携われて光栄/関係者の思い
「47年ぶりの沖縄公演に、現役団員として携わることができて光栄だった」。そう話すのは、今年で入団11年目を迎えた舞踊手の金素那さん(29)だ。この日の観客たちの熱気は、金さんら団員たちにも伝わっていたようで、「自分たちだけでなく客席までが一つになり、ステージを完成させた公演だったように思う」と感慨深げに語った。
金さんによると、今公演を約1週間後に控えた時期に、ある手紙が歌劇団に届いたという。それは、白充共同代表からのもので、団員たちに向けた感謝と共にこんな内容がつづられていた。
「皆さんは、異国の地で、困難な条件の中で、なぜ金剛山歌劇団団員として歌い、踊り、奏で続けるのですか」。金さんは、この共同代表からの問いに、自分なりの答えを探そうと考えを巡らせ、プロとして最高のパフォーマンスを届けることを誓ったそうだ。
「5歳の時から始めた朝鮮舞踊が、私に朝鮮のことばや文化、歴史を教えてくれた。祖国に行く機会も、現地の恩師たちとの出会いも、祖国の景色も…朝鮮舞踊なくしてすべて得ることのできなかったものであり、それらをいま自分が、観客たちに朝鮮舞踊を通じて届けている」。こうした団員としての日々に、やりがいや幸せ、使命を感じてきたと語る金さんは、「『歌劇団は素晴らしい』と今後も言ってもらえるように、皆が謙虚に学び、常にプロフェッショナルを目指す団体でありたい」と力を込めた。
「幕があいた瞬間、美しさに息をのんでそのまま息をするのを忘れてしまうほど、瞬きをするのももったいないくらい素晴らしい公演だった」
公演後の祝賀宴の場で、そう話した沖縄側共同代表の親川志奈子さんは、関係者らに謝意を表した。そのうえで「沖縄の人々は、この島で生まれて育っているにもかかわらず、自分たちの言葉ができなかったり、芸能を観る機会、歴史を知る機会がない中で育った。そうした状況で、在日朝鮮人の皆さんの姿をみて、また皆さんと共にする取り組みに関われて本当に嬉しかった」と満面の笑みを浮かべた。
(文・韓賢珠、康哲誠、写真・盧琴順)