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〈学美の世界65〉山陰展の来場者の姿からみえるもの/三谷昇

2024年07月01日 07:00 寄稿

第50回学美山陰展で学美山陰地区実行委員と展覧会関係者たち。前列左から3人目が筆者(2023年12月22日、米子市美術館)

今まで本連載に掲載されてきた内容は、各地の朝鮮学校で教育実践(指導)をされてきた先生の視点やその思いが中心であったと思う。私は鳥取県の小学校教員として図工科の指導をしてきたことと山陰地区(鳥取県・島根県)での学美展を開催してきた者の一人として、また、ある意味子どもたちの作品を10余年観てきた者として、「学美」の片隅で出会ったこと、感じたことを書いてみることとした。

山陰展は、鳥取・島根両県の主要な都市を開催地として、2009年3月に鳥取県倉吉市で開催して以来15回を数えている。朝鮮学校のない県での取り組みは、全国唯一のものであり、今では山陰地方に根付いた美術展になっている。別の言い方をすれば、日本人をはじめとした多くの市民が朝鮮学校やそこに学ぶ子どもたちの生きた姿に触れる唯一の機会と言ってもいいかもしれない。今までの開催では、必ず来場者から感想をいただき、感想集として冊子にまとめているが、その中には、学美のみならず在日の人々に対する日本人社会の姿が見えてくる場面が多くあった。いくつかの感想をベースにしながら、どのように子どもたちの作品を受け止めているのかをお伝えしたい。

初級部の作品から

作品①「鼻で水を飲む象」。第47回学美優秀賞、西東京第2初中・初1楊蒼宙

数年前に展示された作品が低学年の作品に「鼻で水を飲む象」の絵があった(作品①)。画用紙いっぱいに大きな姿が描かれていると思いきや画面の中央に小さく描かれていた。この絵には驚いた。本来日本における図工科教育の流れの中では、教科書(学習指導要領)に準拠した作品の提示が行われ、そのモデル化された作品に近づくことが「上手」な絵(作品)とされてきた傾向がある。そのため、大きなものは大きく描くことが指導として進められ、とりわけ絵画の指導経験の少ない教員はその傾向が強く出ることがあった。自分の思いを絵として表すことより、パターン化したものの中でより「見栄え」「緻密さ」のある絵を描かせることに力を入れているのである。もっと言えば、子どもたちが絵に託して表そうとするものが感じられないのである。そのような中で育ってきた日本の子どもが、絵の前で立ち止まる。

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