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ニョメン・オーガナイジング②ミクロとマクロが連動した学び/文・イラスト 張歩里

2024年06月06日 14:55 論説・コラム ニョメン・オーガナイジング

最前列で学ぶオルシン

コロナが明けて久しぶりに開かれた「支部同胞新年の集い」に参加した時のことだ。そう、新年の集いとは、専門家を招き朝鮮半島と在日同胞を取り巻く情勢を聞くという、あれである。

支部や分会の男性役員がメインで参加しているでしょと思いながら会場に行ってみると、前列を陣取っているのはニョメンオルシンたち(60代後半から70代の諸先輩方)。講演が始まるとモニターと登壇者を真剣な眼差しで見つめながら何か必死にメモを取っておられる。私は子連れなので案の定、講演内容は半分ぐらいしか頭に入ってこず、もらった資料も子どもの手により新年初のアート作品(落書きともいう)と化していた。

講演が終わるとすぐさま、とあるニョメンオルシンが登壇者のところへ行き「トンム、ちょっとお話が速いわねー。ハハハ! 勉強になりました」とあいさつなのか、叱咤激励なのか、その若めの講師の方に話しかけていた。

「ニョメンデビュー」間もない私にとって、その光景は密かに衝撃であった。一般的に政治や経済は男性のもので、公的な領域のように扱われる。だからこのような場で誰よりも熱心に学ぼうとする同胞女性の姿は目から鱗であった。このオルシンたちの学びへの欲求はどこから来るものなのだろうか。

世は「学び」の大合唱で、継続学習を礼賛し、その価値を崇めているのは確かで、生涯学習社会が目指されている。学ぶ側の主体性が尊重されているようにも聞こえるが、いやいや、日本は学ばなければ「生き残れない」社会だ。学ばない、学べないものは世の中に置いてきぼり、そしてそれは「自己責任」に帰結。最前列で熱心に朝鮮半島情勢について聞く女性たちの学び、それは一般的に叫ばれる生涯学習とはまったく異なるものである。かのじょらの学びへの欲求は、自分がこの社会でどう生きていくのかを問い続け、政治問題に立ち向かう存在として、自身を生涯、運動の主体とするための営みなのではないか。

学びの「特権性」を超えて

はたして今、同胞社会は生涯に渡り学び続けることを可能にしているのであろうか。

私は大学生の時までは、男女関係なく、生涯学びの場は設けられていると思い込んでいた。しかし、結婚したり、子育てが始まると一気に「学ぶ場」が制限される女性は多い。社会の風に当たるというか、社会との接点の場が閉ざされていく感じだろうか。自身をアップデートできない歯がゆさに心がモヤモヤする状況が続いた。

本連載第1回目の記事が出た後、私は無性に反省したことがある。それは自身の置かれている立場の「特権性」について触れられなかったことだ。私がハッピーなニョメンデビューをできたのも、あらゆる条件が揃ったからである。都市部に近い所に住んでいるし、あらゆる世代の同胞女性たちとも繋がれている。こうやって文章も書ける生活を送っているし、好きな本だって買って読める時間がある。何よりも学びの機会が多い。

考えてもみてほしい。講演、鑑賞、サークル、どれ一つとっても条件が揃わない人は参加できない。私が素晴らしい学びの場にいるとき、子どもを寝かしつけていたり、介護に追われている人もいるだろうし、夜勤で働いている人もいる。繋がりたくても繋がれない状況の同胞女性はたくさんいる。そもそも運動は無力感と戦うためにある。これからのニョメンの提供する学びの場は、あらゆる条件を克服する形で作っていかなければと、心底思っている。個人の困難をその個人に押し付けるのではなく、「連帯」に基づいてその困難を「引き受け」ていく、それこそこれからのニョメンのあり方だと思う。

双方向の学びが要

長らく女性たちが培ってきた知恵や知識は、陳腐なものと捉えられてきた。女性の興味関心は子育て、または健康に美容、芸能という感じで、ニョメンサークルにも性別の役割が色濃く反映されてきた。しかし日本各地でさまざまな形で行われている女性たちの活動は、かのじょたちの生活に密接した文化であり、幅広い同胞女性たちが出会い直し、さまざまな経験、感性が共鳴しあうことで、日常をより豊かにしている。学びの場としてもとても大切な役割がある。

最近私は、同胞行事の定番である焼肉のヤンニョム作りに携わった。200人前のタレを目分量で手際よく作るニョメンのお姉さま方。ふむふむ、これはまさに経験と知恵の産物! 行事成功の要は、女性の手に委ねられているな、と肝心したものだ。個人的にはレシピ化して、性別年齢関係なく誰でも作れるようにして、みんなありがたくそのレシピを使わせていただければいいと思う。

これからの運動は、属性に囚われず双方向の学び合いが必須だと思う。セグメントなんかより生活に根差したミクロな学びが、政治社会というマクロな領域に働きかけているという共同認識こそ重要ではないか。ミクロとマクロが連動した「学び」、そこにおいてはニョメンの歴史は深い。そうだ、この土壌でニョメンオルシンたちのプライドは育まれてきた。だからこそニョメンの活動は野太いのである。

(関東地方女性同盟員)

※オーガナイジングとは、仲間を集め、物語を語り、多くの人々が共に行動することで社会に変化を起こすこと。新時代の女性同盟の活動内容と方式を読者と共に模索します。

(朝鮮新報)

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