エアメールの思い出/玄明淑
2024年03月29日 10:05 それぞれの四季幼少期の記憶の中にハラボジ、ハルモニ、コモたちと過ごした思い出はたくさんある。
一家の故郷は済州道だけれど、専任活動家だった長男(父)と次男の家族は日本に残り、祖父母と妹弟4人は「万景峰」号に乗って帰国した。1972年のことだった。新潟港で見送ったあの日の景色は今も目に焼き付いている。しっかり理解できていなかったけれど、別れが悲しくて泣いたことを覚えている。
その後始まったエアメールでのやり取り。字を書けなかった頃は手形や絵を母の手紙に同封し、文字を習ってからは全てウリクルで書いて送った。それに年賀状だけは済州道で暮らす祖父の弟宛てにも送った。会ったこともないけれど故郷にも親戚がいて、いつか会えるかもしれないと想像しながら書いていた。返事をもらうのが嬉しくて、赤と青の縞模様の封筒に宛先を書き一人で郵便局に行くのも楽しく、高学年の頃は家族を代表して頻繁に送っていた。手紙の中でハラボジは、私に「たくさん学んで大きくなったら外交官になりなさい」と何度も言われたことも、忘れられない記憶である。
中学生の頃からか、ずっと感じていたのは家族の離散、成長すると共に朝鮮民族の悲しい歴史と離散者の現実に思考は及んでいった。高3の秋、黄海北道沙里院での再会と数時間後の別れは、言葉にできない感情が溢れ出て抑えられなかった。
(大阪中高美術教員)