〈学美の世界57〉夢中から見えてきた「実体」/崔栄梨
2023年10月10日 07:50 寄稿本作品は、仮想のスマートフォンとその会社をモチーフにした。仮定して作られたスマホのレプリカ、パンフレット、プロモーション用のスライドや映像などが作品の内容である。
パンフレットや企画書に記載されたスペックや仕様などは、現行のスマホを徹底的に調べ上げた根拠に基づくもので、あったらいいと思うスマホを実現できそうなリアルさでつくっている。豊富な情報量を下支えしているのは、作者のリサーチにかけたたくさんの時間と、それによって培われた知識量である。
学生美術展では叶わないが、本人が在廊する美術部展では作者が店員に扮し来場者に最適なスマホを提案してくれるパフォーマンスも行われる。肝心のスマホがレプリカである本作品だが、本人がそこにいるとすべてがリアルになる。作者が含まれた時、本作品は本当に完成するのかもしれない。
完成の日まで、本作品がどう作品になるのかわからなかった。始まりは、アンケートだった。スマホが好きで、時間があれば電気店に通っていた作者は、みんながどのような基準でスマホを選び購入しているかに疑問を持ち、すぐにアンケートを作り、全校生からアンケートを取ってきたのだ。形にするのは難しかったが、作者の頭の中にはすべてがあり、それをひとつずつ行動に移していった。
作者の制作過程と、その日々を見ていると、制作にかけた時間そのものが作品になっているように感じる。好きなことに邁進する。そこに目的があるわけではない。何かを好きであること、それに夢中になること、自分の生活をそれ一色に染めること。これらの営み自体がクリエイティブだと感じる。
本作品は、ジャンルを定められない。前例のない「かたち」をしている。
人の目を気にしないことで、この世にモデルのないものを平気で打ち出すことができる。それは、受け入れられないリスクを伴うし、普通であれば恐れてしまう。しかし本作品はあまりに堂々としていて、既存であるかのようだ。
どう形にするのか?なぜこれをやるのか?など、制作の出発点となりうる疑問を気にも留めていない。作品にならないかもしれない、このまま続けても大丈夫か?などの不安も感じられない。ただ、その時やりたいことが明確で、それをやり遂げるためにどこまでも歩いていける脚力がある。
実体のないものを提示するために、スマホ販売に関わるあらゆるアイテムを作品として作ったが、一番感動的なのは、制作ノートである。他のアイテムはほとんどがタブレットで作ったデジタルのものであるのに対し、大学ノートにシャーペン一本で書かれた制作ノートには、作者自身の字で、作者自身の言葉で、この会社とプロダクトが実在することを訴えている。このノートこそが本物であり、作品の核心であり、実体であると思う。
(在日朝鮮学生美術展中央審査委員・福岡初級美術講師・九州初中高美術講師)