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短編小説「通信兵」 9/朴雄傑

2023年06月15日 09:00 短編小説

「畜生っ!」

彼はこうつぶやきながら、ポケットから包帯をとりだして、とりあえず傷口にあてがった。誰かいないかと思ってあたりを見回したが、周囲には人っ子ひとりいるはずがなかった。眼に見えるものといえば大きな砲弾の穴と、彼がそこまで引っ張ってきた電線と、あたり一面にただよう煙と、その煙の間からかいま見える青い空だけであった。

早くつながねばと思った彼は、眼の前にある切断された電線の端を手にとった。それからもう一本の端を探した。自分の所から10メートルほどの前方にそれがころがっているのを見つけた。起き上がろうとしたが胸の痛みのためにできなかった。やっと片手を地面につきながらはうようにして進んだ。ようやくたどりついて引っ張ってみると、線はぴんと張っていた。大隊本部の方のは切れていないことが分かった。その電線をひきずって先刻の場所に戻った。

それから被覆をとろうと思って腰に手をやると、ペンチがなくなっていた。先刻ひっくり返ったあたりを見回したが土の中にでも埋まったのかどこにも見当たらなかった。歯でちぎろうと思って電線の端を口に入れた途端、ピリピリッと電気がきた。そのことから彼は、大隊本部で中隊を呼びだすために電話の把手を回しているに違いないと思った。きっといま一方の中隊長も受話器を耳にあてたまま待っているに違いない。そうだとすると切断個所はいま彼が握りしめているこの一個所だけということになる。ここさえつなげば、ただちに報告がおこなわれ、命令が伝達されるはずである。そう思うと彼はいっそうあせった。早くつながねばと思い、こんどは中隊の方の被覆を歯でちぎると、それを継ぐために南方の線を引っ張った。ところが両手をひろげた幅だけ短かかった。どうしても1メートルほど足りないのである。いつもの癖で腰のあたりをまさぐってみたが、予備の電線はとっくに使い果たしていた。切れっ端でも無いかと思って、しきりに四方を見回したが何処にも見つからなかった。

もうあたりの土をほじくり返す元気もなかった。被覆をはがした部分に指をあててみるとやはりピリピリッときた。その瞬間、彼の頭の中に稲妻のように記憶がよみがえってきた。警察の連中に電気拷問されてはげしく打ち震えていた母親の腕のことが頭にうかんだのである。

―この電線を両手で握っていたら?―

彼はとっさにこう考えてみた。

通信兵としての彼の経験は、電流が通じるからには話も通じるはずだという結論をたやすく引き出すことができた。

―うむ、おれの体で、戦闘が保障できるものなら、何をためらうことがあろう!―

そう思うといままで焦っていた彼の気持ちは先刻かいま見た青空のように晴れてきた。彼も彼の母親も、敵の電気拷問に最後まで声をあげないで頑張りぬいたのだ。まして、そのうらみを晴らすための戦闘である、電話線をもちこたえることぐらい、そう難しいこととも思えなかった。電線を握ったまま死んでも本望のような気さえした。傷の痛みと、全身からしだいに力がぬけていくさまからみて、あるいはほんとに死ぬかもしれないと思った。

(つづく)

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