歴史と交流を継ぐために/徐麻弥
2023年02月09日 08:00 それぞれの四季 論説・コラム私は筑豊で生まれ育った。幼い頃、学校行事で石炭資料館などを訪れたが、あまり関心を持たずにいた。それから大学生活を通じて在日同胞社会を知り、筑豊に戻ってからその歴史や同胞と日本の方々との交流に触れ、活動に関わるようになった。
そこで出会った仲間から、チマチョゴリ切り裂き事件当時の話を聞いた。「北九州でも事件が起きて第二制服が生まれた。オモニの頼みで一度だけ第二制服を着て学校に行ったけど、しっくりこなくて、卒業までチマチョゴリで登校した。オモニにはとても心配された」。このような話に共感し、立派だと思った。しかし私も親となり、当時の保護者の気持ちが分かるようになると、胸が痛かった。
2019年3月、折尾駅前。ある政党が選挙演説で「(朝鮮学校の)生徒たちが今、チョゴリの制服を着ていないのは、我々の運動の成果だ」という趣旨の発言をした。明らかな犯罪行為を、活動の成果だと正当化した。腹が立った。強制連行・強制労働に関する言説と同じく、朝鮮学校への差別や暴力も、月日が経つと正当化して語られると実感した。
真実をきちんと伝えねばと思い、昨年、筑豊地域の諸団体で構成される「筑豊リボンプロジェクト」のメンバーや日本人の仲間たちと演劇「チマチョゴリ」を上演した。私たちで、筑豊の歴史と人々の交流を継いでいきたい。
(福岡県在住、「筑豊リボンプロジェクト」メンバー)