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在日1世の姿に学ぶ共生/東京・稲城で写真展

2023年01月13日 10:26 歴史

4日から12日まで開催された「在日一世と家族の肖像」写真展in稲城

「在日朝鮮人の方々と出会い、交流し、互いの気心を知り合う。この過程で、(在日朝鮮人に向けられた)差別問題を自分事として理解ができるようになっていくと思う」

4日から12日まで、東京・稲城市の施設を利用し開催された「在日一世と家族の肖像」写真展in稲城。イベントを提案した稲田善樹さん(83、実行委員会責任者)は、今回の写真展に格別な思いを寄せていた。

古くから在日朝鮮人が集住していた稲城の地。日本の朝鮮植民地下、旧陸軍・多摩弾薬庫での強制労働や、多摩川での砂利採取に従事した朝鮮人労働者らが、身をよせ暮らしていたことが、その背景にある。

日本による戦争加害の爪痕が残るこの一帯で開催された写真展について、稲田さんは「人々が話し合いのテーブルにつく環境整備の一環」だとその思いを語った。

トークイベントであいさつする稲田善樹さん

「満州」引揚者である稲田さんは、1945年、自身が5歳の頃に釜山から博多への「生死をわける避難」を経験し、当時「たくさんの子どもや高齢者が感染症によってバタバタと倒れていく」姿を目撃した。その後、定着した広島の山奥で、自身の問題意識の原点ともいえる朝鮮人に出会う。

「私が住んでいたのは30世帯ぐらいしかない山奥の集落で、そのさらに奥に、朝鮮人集落があった。そこになぜ朝鮮人がいるのか、後々調べてみると、農業用水の池をつくるために動員された朝鮮人たちの集落だった」(稲田さん)

幼少期のこの出会いが、かれの学習欲を掻き立てた。それからというもの、日本と朝鮮をとりまく歴史を学びながら「自分の生い立ちや、朝鮮人とどういうかかわりを持っていけばいいのかについて、考えるようになった」という。

互いを知り、学び、理解した延長線上に、差別のない社会が到来する―。2011年に活動を始めた市民サークル「いなぎ草の根文化サロン」の活動を通じて、こうした思いを強くしていた矢先、国立市で行われた写真展の存在を知り、「稲城でも開催し、多くの人がみて、考えてもらわなくてはいけないと思った」と当時を振り返った。

“私たちの祖父母の話”

パネル制作に際し行われた金英三さんへの聞き取り調査に携わった縁で、トークイベントの聞き手を務めることになったファン・モガさんは、「証言の一つひとつが、80年近い歳月を日本で朝鮮人として暮らしながら、決意し実践してきた証だと感じた」と語る。

1世同胞たちの姿をおさめたたくさんの写真が並んだ

南朝鮮・ソウル出身のファン・モガさんは2006年に来日、東京在住中に執筆した「モーメント・アーケード」が、2019年の「第4回韓国科学文学賞」中短編部門で大賞を受賞するなど、新進気鋭のSF作家でもある。また21年の「第8回韓国SFアワード」では、関東大震災時の朝鮮人虐殺を題材にしたSF短編小説「緑の墓地(연고, 늦게라도 만납시다)」で優秀賞を受賞。「日本で暮らしながら(在日同胞にまつわる)さまざまな事件のフィードバックの場に参加した経験を小説に込めながら、歴史と個人との接点を探している最中」だという。

ファンさんは、「在日朝鮮人コミュニティからみれば、政策的な支援を講じてこなかった韓国政府だけでなく、市民たちに対しても寂しい思いを抱いていると思う」と前置きしながらも「私は在日同胞たちの人生が、遠い国の話や他人事ではない、私たちの祖父母が、祖先たちが経験した自分事だと考えている」として、今後も世代間の理解と継承に力を添えたいと話した。

1世同胞たちの姿をおさめたたくさんの写真が並んだ

また実行委員の一人で、「チマ・チョゴリ友の会」のメンバーでもある上野哲史さん(49)は、7日にあったトークイベント後、「日本社会が在日朝鮮人に対していかに理不尽な対応をしてきたのか、その一端を改めて知り、胸が締めつけられた」と語った。

生まれ育った大阪での大学時代、在日朝鮮人をとりまく差別問題を知り、その後、東京に拠点を移してからは、朝鮮に粉ミルクを送るなどした人道支援をきっかけに「チマ友」とつながった上野さん。在日朝鮮人への差別が解消されることなく続く原因は「一重に日本の歴史教育にあり、在日との交流がないことにある」と訴える。

今回の写真展に積極的に携わったのも、そうした状況を改善したいとの思いから。上野さんは「歴史教育がない、まわりに朝鮮人がいない、となるとデタラメがはびこるネットの情報を鵜呑みにしてしまう。それを改めるのは、こうした地道な活動しかないと思っている」と語り、写真展を機に、在日朝鮮人を知る取り組みを民間レベルで進めていきたいと話した。

(韓賢珠)

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