【特集】中津川朝鮮人虐殺から100年~アイゴ谷と呼ばれた地~
2022年12月27日 10:34 動画 歴史現代に問いかける、1922民衆虐殺
新潟県津南町、日本一の豪雪地といわれるこの場所で、かつて朝鮮人労働者らが虐殺、虐待される凄惨な事件が起きた。1922年、関東大震災朝鮮人虐殺の前年にあった「中津川朝鮮人虐殺事件」だ。
事件は、同年7月29日付の読売新聞が「信濃川を頻々流れ下る鮮人の虐殺死体」という見出しで大々的に報じ、当時日本の植民地支配下にあった朝鮮半島にまで広く知れ渡るようになった。その後、在日朝鮮人による調査団が組まれるなど、当事者らの真相究明活動で明らかになった惨たらしい事実―。
それは、新潟県中津川の上流に建設中だった水力発電所(信越電力)の工事現場で、奴隷労働といわれるタコ部屋労働を強いられた朝鮮人労働者が虐殺されたこと。当時の現地住民の証言では、800人以上いたと推測される朝鮮人労働者のうち、100人程の虐殺を含む多数の犠牲者がいたのではないか、との発言もあった。
いわゆる戦時労務動員として多くの朝鮮人が日本の軍需工場や炭鉱などへ強制連行される10年以上も前、1920年代に起きた日本の民衆による朝鮮人リンチ・虐殺事件であった。
この真相を究明しようと、研究に長年取り組んでいる佐藤泰治さんが集めた証言のなかには、「逃げた朝鮮人を柱に結い、頭の毛を舵で切った」、「棒で叩いたあげく、数珠つなぎにされていた」というような当時の生々しい周辺住民らの声がいくつもある。
戦争や植民地加害の史実を隠蔽しようと目論む日本の国家権力、同調圧力に屈したかのように両論併記で一貫した主要メディアたち…こうした構造的な枠組みにより、前述の「中津川朝鮮人虐殺事件」は、事件から100年が経過し今日に至るまで、その社会的認知は極めて低い。
【特集】中津川朝鮮人虐殺から100年~アイゴ谷と呼ばれた地~では、民衆による朝鮮人リンチ・虐殺の現場となった新潟県津南町を訪ね、識者とともに歩いた同胞たちの怨恨が眠る一帯を紹介する。来年は関東大震災朝鮮人虐殺から100年、それよりも以前にあった民衆虐殺は、現代に何を問いかけるのか。
(韓賢珠、金紗栄)