「追悼」されない犠牲者
2022年08月24日 08:00 取材ノート 論説・コラム8月15日、朝鮮が日本の植民地支配から解放されたこの日を、日本では「終戦」記念日という。「敗戦」といわずあえて「終戦」だと後世に記憶させるこの日、今年も日本武道館では政府主導の「全国戦没者追悼式」が行われた。
その知らせを報じたメディアの見出しには「終戦77年、戦没者追悼式/岸田首相、加害責任触れず」とあった。戦没者とは「第二次世界大戦で戦死した旧日本軍軍人・軍属約230万人」と「空襲や原子爆弾投下等で死亡した一般市民約80万人」の「日本人戦没者計約310万人」のこと。しかし、少なくとも前者は、帝国日本が繰り広げた侵略戦争で、その主体となった個人だということは、確認する必要がある。
「戦争の犠牲者」という言葉では覆い隠せないほどに、朝鮮をはじめとするアジア地域では、その「犠牲者」たちによって犠牲となった人々が無数に存在したからだ。
今日8月24日は、祖国へ帰ろうとした朝鮮人を乗せた浮島丸が舞鶴湾で爆沈して77年になる日。現在まで続く追悼活動の中心にいた故・須永安郎さんは、かつて、自分たちが行う追悼集会の意をこう語っていた。
「これから先、日本が同じような過ちを繰り返すことのないような国づくりに、そのことを約束する場所」。かれのいう追悼の場が、日本の政府主導で、どれほど持たれてきたのか。都合のいいように言い換え、書き換え、記憶しても、大罪は消えない。
(賢)