シンポジウム「裁判の中の在日コリアン~日本社会の人種主義・ヘイトを超えて~」


市民社会が声を

在日コリアン弁護士協会(LAZAK)の創立20周年を記念し、16日に行われたシンポジウム「裁判の中の在日コリアン~日本社会の人種主義・ヘイトを超えて~」。同シンポジウムは、今日までの在日同胞の人権と関連した裁判を振り返るとともに、日本社会に蔓延る人種主義を克服するための課題を考える場となった。

国籍による排除

2部構成となったこの日のイベントで、第1部のシンポジウムには、田中宏さん(一橋大学名誉教授)と丹羽雅雄さん(弁護士・大阪弁護士会)が登壇し、在日同胞をめぐる裁判について在日同胞をめぐる裁判についてそれぞれの立場から思いを語った。司会進行をLAZAK副代表の金奉植弁護士(大阪弁護士会)と同会員の辛鐘建弁護士(神奈川県弁護士会)が務めた。

シンポジウム「裁判の中の在日コリアン~日本社会の人種主義・ヘイトを超えて~」(16日)

最初のテーマとなったのは日本国籍確認訴訟。同訴訟は、1969年、在日朝鮮人1世の宋斗会さん(故人)が国に対し、52年4月16日の民事局通達により朝鮮人の日本国籍を一方的にはく奪したのは不当であるとして、日本国籍の確認を求めて京都地裁に起こした裁判。

日本の植民地下、朝鮮半島出身者たちは日本国籍を有する「皇国臣民」とされていたが、1947年、日本政府は朝鮮半島出身者を「当分の間外国人とみなす」とする勅令を発し、これにより日本に居住する朝鮮半島出身者には一方的に外国人登録申請の義務および移動の義務が課されることになった。そして1952年、サンフランシスコ講和条約の締結により、朝鮮半島出身者は日本国籍を喪失。朝鮮戦争のさなかで、帰国もままならず、日本での定住の長期化を余儀なくされた在日朝鮮人は、後に闘いによって権利を回復するまで、公的年金制度をはじめとするあらゆる社会保障制度から排除された。

宋さんは、生涯をかけて日本政府の植民地政策に対する責任を追及した一人。同裁判は1980年に原告側の請求棄却で判決が確定した。

裁判当初から宋さんを支えた田中宏さんは「外国人といえば何をやってもいいというような政府の考えがあらわになったのが国籍の問題。その国籍から在日朝鮮人問題を考えるということを司法や社会に突きつけた」と同裁判の意義を述べた。

闘いがもたらした権利

またシンポでは、在日朝鮮人をはじめとする外国籍者が長く対象から排除されてきた司法修習生の採用問題と関連し、70年代後半に起こった動きについても確認した。

現在、日本で弁護士になるには司法試験に合格し、司法修習を受ける必要がある。司法試験は国籍を問わず受けられるが、司法修習の場合、日本国籍者に限られていたため、外国籍をもつ人々が弁護士になる道は閉ざされていた。

そのようななか、1976年に司法試験に合格した金敬得さん(故人)は、最高裁判所に対し司法修正採用の願書を提出。これに対し、最高裁は当初、採用条件として帰化することを要求してきたという。

当時について、金さんは生前に出した論文「民族と国籍」で、「朝鮮人であることを恨み、いたいけな心を痛めている同胞の子どもに対して『朝鮮人であることを恥じずに、強く生きるんだよ』と諭してみても、それが帰化した人間の言葉であってみれば、いったいいかなる効果があるのか」と、自問自答の末の願書提出であったことを回想している。

当時、金さんの最高裁への働きかけにも支援者として携わっていた田中宏さんは、「国籍によって司法修習採用を妨げるのは法的に何の根拠もなかった」ため、最高裁を相手に度々意見書を提出し、その不当性について徹底主張したという。

最高裁は金さんの願書提出から1年後となる77年に規則を変え、外国籍の司法修習生を認める方針へと転換。国籍要件(「日本の国籍を有しない者(最高裁判所が相当と認めた者を除く)」)に伴う「特例」扱いで外国籍の司法修習生を認めたこの方針は、09年に撤廃され、同要件は完全に削除された。

シンポの終盤には、軍人軍属補償事件、地方参政権訴訟、無年金裁判など在日同胞にかかわる裁判を担当した弁護士の丹羽雅雄さんが発言した。

丹羽さんは「法律があれば、それのどこかに焦点を絞り訴訟を進めるが、現在の法律はマジョリティのためのもので、マイノリティを意識した法律がない。圧倒的にマジョリティの憲法解釈であり、法律だ」と日本の司法の現状を危惧した。そのうえで同氏は「こうした現状のもとでは、在日朝鮮人をはじめとする社会的なマイノリティの人々の裁判が社会変革的な裁判にならざるを得ない」と強調。市民社会が声をあげ、それと連動する形で法規範を変えていく必要性を説いた。

(韓賢珠)


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