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〈明日につなげる―無償化裁判がもたらしたもの―〉九州弁護団(上)

2021年05月16日 11:12 主要ニュース 民族教育

「財産」の基盤

朝鮮高校への無償化適用を求め、2013年から各地で始まった国賠訴訟。大阪、愛知、広島に次ぐ4例目となった九州での訴訟は、同年12月19日の提訴から5年以上の歳月を経て19年3月14日、原告敗訴の不当判決が下された。裁判所はその後の控訴審でも、朝鮮高校の不指定根拠となる「規定ハ」削除を遂行した国の違法性について判断しないばかりか、一審判決を踏襲する形で国の裁量を認めた(20年10月30日)。そして5月16日現在、同裁判は最高裁へ上告中にある。

大型弁護団の発足

「高校無償化」制度を導入した民主党から、自民党へと政権交代がなされ迎えた2012年末、文科省は「在日本朝鮮人総連合会や北朝鮮との密接な関係が疑われ、就学支援金が授業料に充てられない懸念がある」として、朝鮮高校を無償化対象から外す方針を表明した。

それから約1ヵ月後の13年1月24日、愛知と大阪で生徒、学園が原告となった初の「高校無償化裁判」が始まった。

訴状提出に先立ち裁判所周辺をデモ行進する弁護団ら(13年12月19日)

裁判が進むなか、同年2月20日、日本政府は朝鮮高校を無償化するための指定根拠となる規定を削除し文科省省令を改正する横暴ぶりをみせる。その後、文科省を通じ各地に10ある朝鮮高校へ、制度の対象外を示す不指定処分が通知された。

これら一連の流れは、九州中高が所在する九州地域でも「何らかのアクションを起こす必要がある」といった声を生んだ。

そのような中、2013年4月27日に、訴訟を進行(あるいは準備)する各地の弁護団が一堂に会した初の「全国弁護団会議」が大阪で行われることになった。そこへ金敏寛弁護士はじめ現在九州弁護団で中心的な役割を担う関係者らが参加。その場で、「根本は学生への権利侵害問題ではあるが、社会的にみて認識を正さなくてはならない問題だ。九州でも裁判をすべきではないかと提案を受けた」のが、九州弁護団のはじまりにある。

金敏寛弁護士

九州弁護団の事務局長を務める金敏寛弁護士は、当時を振り返り「こういう問題を解決するために自分が弁護士になったわけだから、社会的意義のある裁判を福岡でも起こさなくてはと思った」と話す。会議から戻り、金弁護士がそのことを真っ先に相談したのは、福岡朝鮮学園の尹慶龍総務部長(57、北九州初級校長)だった。

「いざ訴訟を起こそうとなったとき、何よりもまず人を集めなくてはいけなかった。自分の恩師でもあり信頼する尹先生に『弁護団のメンバーは自分が集めるので、学校関係は頼みます』と話しました」(金弁護士)

この日を機に、弁護団発足に向けた動きは加速していく。

まずはじめに、弁護団の要となる弁護団長として、故・服部弘昭弁護士に声掛けを、また金弁護士の同期を中心に北九州の弁護士や、過去に在日同胞の無年金問題で訴訟を受け持った弁護士たちに参加を呼びかけた。またちょうどその時期に、年に1度九州で開催される「九州弁護士会連合会総会」を控えていたことから、事前に無償化裁判に関する案内文をつくり、大会当日、賛同者を募ったという。

「たとえば無年金裁判をしてきた弁護士は、在日朝鮮人という存在や総聯、民団といった組織にも理解がある人たちだったが、同期の弁護士たちに一緒に闘ってくれないかと話すのは、僕自身も非常に迷った。話したところで(在日のことを)うまく受け止めてくれるのかと。けれど、いざ蓋をあけてみると、たくさんの弁護士が賛同してくれたし、今も一緒に闘ってくれている」(金弁護士)

そうして13年6月、服部弘昭弁護士を団長とする九州弁護団が発足した。無償化裁判に向けた金弁護士の熱い思いに呼応するかのように、同弁護団は同種訴訟を進行する5ヵ所の弁護団中最も多い60人の弁護士が名を連ねる大型弁護団となった。

「服部団長」という存在

既述のように、北九州・福岡を中心に多くの弁護士が賛同する結果となった背景には、「金弁護士など若手弁護士らの奮闘ももちろんだが、初代弁護団長を務めた故・服部弘昭弁護士の存在が大きかった」と、尹慶龍総務部長は回顧する。

当初、金弁護士から裁判について相談を受けた尹総務部長が、司法闘争をするべきか決断しかねていたとき、脳裏に浮かんだのは服部弁護士のとある言葉だったという。

「服部先生とは、2000年代からの付き合い。06年に私が県教育会に異動した当時、学校の土地を巡るRCC問題で福岡でも訴訟を進行中だった。あの頃はまだ同胞弁護士も九州には少なくて、協力的な日本の弁護士も多くないなか、『もちろん弁護を受け持つよ』と代理人弁護士になってくれたのが服部先生だった」(尹総務部長)

訴状提出後に行われた報告集会及び会見(13年12月19日)

RCC関連の訴訟は、一審で勝訴するも、その後敗訴確定に。裁判が終わり、関係者らが集まる場で「二度と日本の司法は信頼しない」と尹総務部長が声を荒げて言ったとき、服部弁護士は優しくも厳しい口調でこう返したのだった。

「せっかく闘うチャンスがあるのに尹さんはそのチャンスを捨てるの?」—。

「いざというときの決断力と先見の目があり、何よりも朝鮮学校の子どもたちに寄り添う心がぶれない人だった。そういう人だから広く人望もあり、多くの方々が弁護団に名を連ねてくれたと思う。私自身も、彼の一言に背中を押されたひとりですから。服部先生は、いつも民族教育を思ってくれていました」(尹総務部長)

発足以来、九州弁護団では訴訟に向けた準備を本格化させ、2013年9月7日には九州中高の保護者を対象に説明会を兼ねた「高校無償化適用実現のための保護者集会」を開催。これを皮切りに、同校へのフィールドワークや原告生徒との面談などに注力した。また同年7月8日には、「朝鮮学校を支える会・北九州」(以下、「支える会」)など10数の団体で構成された「朝鮮学校無償化実現・福岡連絡協議会」が結成。(同協議会は現在、弁護団と密に連携をとりながら、訴訟活動をサポートするうえでの協議母体となっている)

そして同年12月19日、九州中高の生徒ら68人が原告となる国家賠償請求訴訟が始まった。

しかし裁判進行中に起きた思いもよらぬ事態に、弁護団はじめ関係者たちは動揺した。2019年3月14日の1審判決後、九州弁護団の中心だった服部弘昭弁護士が病床につき、弁護団を離脱せざるを得なくなったのだ。

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