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〈取材ノート〉語っていない

2021年04月03日 08:00 コラム 文化・歴史

3月、大空襲犠牲者を追悼する催しが各地で行われた。ある記事を読み違和感をもった。

「東京大空襲では、米軍の爆撃により死者10万人以上、負傷者は数十万人を越える。…この空襲で日本人のみならず、多くの朝鮮人犠牲者が亡くなったことはあまり語られていない」。

語られていない―。

一見その状況を顕著に示す表現だが、他方で思うのは、語られていないことの前提に、これまでメディアが語っていない現実があり、それに対して書き手はいかに当事者性をもっているのかという点である。

というのも先日、在米同胞が出版した朝鮮画にまつわる美術書籍について関係者へ取材した際、「取りあげてくれてありがとう」と言う相手に対し、なぜそう言うのかと聞くと、こう返ってきた。

「同胞社会では朝鮮情勢やハッキョのニュースが最優先で報道しなくてはならないから」

そう思わせるような取材、紙面づくりをしてきたのだ、と反省した。

アンテナを張り巡らして拾っていれば、少なからず一本の記事となって発信され、それが記録として歴史に残るし、場合によっては話題にもなる。けれど話題となるか否かも、歴史に記録されるか否かも、まずはその事実を拾うことが大前提にある。

語っていないことを自覚し、語り出すことは、本紙のオリジナリティを追求するうえでも大事な要素であると、気づかされる今日この頃だ。

(賢)

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