〈ウリハッキョサポーターの課外授業・朝鮮近現代史編 2〉近代初期の反侵略、反封建闘争(2)
2021年03月14日 07:30 主要ニュース 歴史日本の朝鮮侵略と閔氏政権
明治新政府の対朝鮮政策
前近代の朝鮮王朝と徳川幕府との間では国交が結ばれていました。1607年に徳川幕府の要請によって始まった朝鮮通信使の江戸派遣は1811年まで12回に及びました。両国の関係は対等な交隣関係でした。しかし近代以降、その関係は一変しました。
明治新政府と朝鮮との関係は、書契問題の紛糾から始まりました。1869年1月31日(陰暦68年12月19日)、明治政府は対馬藩を通じて朝鮮に新政府成立を通告します。しかし、持参した書契(外交文書)は江戸時代の形式とは異なっており、文中に「皇」「勅」の文字が用いられていることなど、朝鮮国王よりも天皇をその上位に位置づけていたため、大院君政権は正式の受け取りを拒否しました。
1869年9月に外務省が太政官(当時の政府の呼称)に提出した「朝鮮国一件伺書(うかがいしょ)」に、「朝鮮は昔日に御親征(「神功皇后の三韓征伐」)もあり、列聖(歴代天皇)が御配慮なさった国なので…その国家の命脈を永世保存しておきたい」として、天皇の使節を軍艦1、2艘とともに朝鮮に派遣して交渉を進めることを具申しました。明治新政府の対朝鮮政策は、朝鮮は古代から日本の属国であったと主張し、それを根拠にして武力をもって朝鮮を日本の影響下に置くことを当然視しているのです。