〈祖国と民族は私の命/李実根さんを偲んで 2〉/朝鮮被爆者協議会の活動
2020年08月06日 08:16 主要ニュース「谷間の被爆者」、白日に
1975年発足、実態調査へ
「谷間の被爆者」。戦後30年間放置された同胞被爆者は、そう呼ばれた。
旧内務省警保局の資料によると、1944年末には広島県内に8万1863人の朝鮮人が住んでいたとされる。その内の何人が広島市内に住んでいたのかは明らかではないが、2万人とも5万人ともいわれる朝鮮人が原爆により犠牲になった。広島の在日朝鮮人の中には、戦争のための人的資源として重労働に従事させられた上で被爆した人もいた。しかし日本政府は一向にして彼らの実態調査や支援を行わなかった。
そんな朝鮮人被爆者を援護するため、李実根さんを中心に結成したのが、「広島県朝鮮人被爆者連絡協議会」(「朝被協」)だった。「朝被協」は1975年8月2日の結成大会で米国の朝鮮半島での核兵器使用の可能性を公言していたことに対する抗議文と、日本政府が朝鮮人被爆者をふくめた援護法を制定するよう要請するアピールを採択。今後の活動方針に①被爆者援護法の制定要求②朝鮮人被爆者の被爆実態の究明③朝鮮人被爆犠牲者の慰霊碑建設を挙げた。
朝被協が結成後、まず乗り出したのは朝鮮人被爆者の実態究明だった。