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〈それぞれの四季〉ナビになりふわりと飛び立つ/ぱんちょんじゃ

2019年07月22日 17:03 コラム

大腸がんの手術後も転移による手術と治療が続く中、昨年「金福童奨学金」伝達式や台風支援金伝達のために東京、大阪を訪問した金福童ハルモニ。9月の大阪訪問は奇しくも高校無償化訴訟の高裁逆転敗訴の日と重なった。報告集会では、立っているのもやっとだったのに笑顔で登壇し、みんなを励ました。病状は日に日に悪化し、年末に「ウリチプ」を訪ねるとハルモニは目も見えず、耳も聞こえない状態だった。私たちが代わる代わる「ハルモニー」「サランヘヨ~」と呼びかけると、微かに「ナド~(私も)」という声が返ってきた。

14歳で連行され、中国から南方へと戦場を転々とし、解放後は米軍捕虜収容へ。故郷に帰りついたのは8年後、22歳になっていた。1992年、周囲の反対を押し切って名乗り出たハルモニは後にその発言と行動力で「人権活動家」と呼ばれた。「ナビ基金」を設立、紛争地で性暴力被害に苦しむ女性たちの力になりたいと基金を集めて届けた。

「この痛みをもう誰にも味わわせない」という意志と、学ぶことのできなかった自身をハッキョの子どもたちに重ねた。意識が混濁しはじめた11月、通帳を取り出し、「ハッキョの子どもたちに」と最後の預金を託した。年が明け1月28日、ハルモニは旅立たれた。私たちに「希望はつかみとるもの」という言葉を残して。

(大阪市在住、日本軍「慰安婦」問題・関西ネット共同代表)

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