〈ものがたりの中の女性たち 16〉「私を見つけて」―終娘(於于野譚より)
2018年09月28日 14:19 主要ニュース 文化・歴史あらすじ
ある武士が訓練院で弓の研鑽を積み日暮れて帰途につくと、往来で美しい娘を見かける。鮮やかな衣服を身にまとったその娘は憂いをたたえた表情で心細げに立ち尽くしていたので、本来が豪放で律儀な気質である武士は声をかけずにはいられない。「陽は暮れ、人気もない道で独りどうしようというのだ」。
すると振り向いた娘の春風のような姿は武士の心を鷲掴みに。娘は迎えを待っていたが日は暮れ、先行きは遠いので途方に暮れていたと答える。武士が迷惑でなければ送って行くと優しく申し出ると、「私の名は終娘(チョンラン)、家は南山(ナムサン)のふもと、南府(ナムブ)洞のはずれにあります。賢君子が私のような者を送ってくださるならありがたき幸せにございます」と、かわいく答える。
武士が手を引き家にたどり着くと、そこは士族の立派な屋敷、門をくぐり廊下を行くと三部屋目が終娘の居室だという。部屋の四方に書画が飾られ、帳と御簾、敷かれた布団と上掛けは素晴らしく輝き、終娘に手招かれ共に座ると座卓の上には柳で編んだ器に肴が盛られ、枕元には白磁の壺に入った美酒と模様入りの盃が置いてある。杯を重ねるごと二人の情も募ったが、ただ時間がたっても終娘の手足は氷のように冷たく少しも温かくならない。武士が訳を問うと、「体が弱く夜遅くの外出だったので…」で弱々しく答える。
終夜枕を共にし、明け方目が覚めた武士は喉の渇きを覚えた。帰り際、近所の娘が水汲みを終え通りかかったので水を一杯所望すると、その娘は怪訝そうに武士をじろじろと見る。
「お武家様、なぜ空き家から急いで出てこられたのですか?」
「うん? 終娘の家で一晩厄介になったのだ」
すると、娘はますます驚いて口を開く。
「その家は流行り病で家族全員の遺体が折り重なっているのですよ? 終娘も亡くなって三日が経ちますがそのままです。私をからかっているのですね」
驚いた武士が終娘の家に取って返すと、庭にも部屋にも遺体が折り重なり、ある遺体だけは三番目の部屋にあった。終娘である。酒と肴がまだ残っていることが武士をより一層哀しくさせる。
「死んだ娘が自分と家族の亡骸が放置されていることを悲しみ私を見込んで現れたのだな」
ついに武士は棺と輿を手配し、酒肴を盛大に設え祭祀を執り行い帰宅する。
その夜、終娘が夢枕に立った。
「穢れた体を捨て置かず丁寧に埋葬し、祭祀まで執り行ってくださったこと彼岸に行きましても忘れはしません」
後に武士は科挙に及第し高い地位を得た。