〈4.24教育闘争70周年 3〉「学校は自分たちの家だから」/兵庫・崔鳳稙さん
2018年04月12日 10:43 主要ニュース 民族教育総聯兵庫・西宮支部の崔鳳稙さん(80)は1948年の4月24日頃、父から「神戸が大変なことになっている」という噂を聞いた。4.24教育闘争の衝撃はすでに県内に広がっていた。
「その噂を聞いた2、3日後だったと思うが、神戸湊川公園で、民族教育権を認めよ、という趣旨の群衆大会があった。トラックに乗って公園に向かうと、消防車が群衆に向かってめちゃくちゃに放水していた。公園の入り口に止められていた車からは、銃や棍棒を持ったMP(憲兵)が出てきた。同胞らはみんなばらばらに逃げていった」
崔さんも必死で逃げ出し、どうやって家までたどり着いたか覚えていないという。
その年の9月1日、地域に7つあった国語講習所が1つになり、阪神朝鮮初級学校が開設。崔さんもそこに通い始めた。それまでは、鳴尾の国語講習所で2年間、朝鮮語などを学んでいた。