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勇猛性と圧倒的なパワー、並外れた胆力/わが民族の宝・豊山犬

2017年12月13日 16:19 文化・歴史 主要ニュース

金正日総書記から金大中大統領夫妻に贈られた豊山犬の子犬のつがい(朝鮮中央通信=朝鮮通信、00年6月17日)

豊山犬は朝鮮民主主義人民共和国国犬第1号、天然記念物368号に指定された朝鮮半島北部、咸鏡南道豊山地方(現在の両江道金亨権郡と豊西郡)原産の犬種である。1938年に当時京城帝国大学の森為三教授が朝鮮の宝物、古跡、名勝などを調査、天然記念物保存案を作成し、それをもとに朝鮮総督府が「日本の天然記念物128号」に指定した。

卓越した狩猟犬の能力

豊山犬は体重雄24キロ以上、雌22キロ以上で、中型~大型犬に分類される。日本の秋田犬より少し小さく、紀州犬より少し大きい、その中間位の大きさで、虎、狼などの猛獣や、鹿、イノシシなどの大型の四足動物を狩るのに特出した能力を持っている。

豊山地方は、海抜1200~1300メートルの蓋馬高原の高い峰々に屏風のように囲まれた盆地の中央部に位置し、交通網の発達しなかった昔は外部の人々が容易に入れない僻地であった。蓋馬高原は朝鮮半島北部の、両江道、咸鏡南北道などに属しているわが国最大の高原であり「朝鮮の屋根」と呼ばれている。亜寒帯地方に多いカラマツなどの針葉樹が多い太古の原生林が現在も残り、冬の寒さは零下20度から30度に至るほど厳しい。

朝鮮虎は現在絶滅したらしいが、豹、狼、キツネ、オオヤマネコなどの猛獣類が今も細々ながら生息しているという(朝鮮虎は白頭山付近に、少数ながら現在も生息しているという報告もある)。

猛獣たちは家畜や人を襲うこともあった。人々は自分たちと家畜を守るための番犬として犬を飼っていた。厳しい自然環境の中で生き抜くためには、人も犬も生半可な体力、精神では生き延びることができない。

豊山犬は、このような自然環境の中で遥か昔の一定期間、重複混血が進み孤立し、強い遺伝子を後世に伝えながら、今日の多様性を持つ犬種に育った。

使用目的によって人為的に作られた犬でもなく、純粋種として育成されたものでもない。豊山地域の土着犬と、狼との混血が淵源とする見方もある。

遥か昔からこの地方で飼われていた犬たちを総称して、「豊山犬」と呼んだのである。

豊山地方の土着犬たちは、虎をはじめとする猛獣の攻撃から自分を守るためには、相応の体力と能力を備えねばならず、厳しい自然環境に適応したものだけが生き残れた。

犬の立場からすれば、猛獣の攻撃から自分の身を守りながらも、人に依存しなければその生存すら危ないわけで、卓越した狩猟犬の能力と番犬として、また家庭犬としての多様な資質を兼ね備えるようになったのである。

最後まで戦う戦闘能力

豊山犬は体が頑健で、疾病に強い。雌は一度に5~8匹の子犬を生む。昔はいろんな毛色の犬がいたそうだが、現在は白、黄白色が主である。主人に忠実で、人懐こく、人に危害を加えることがほとんどない。人懐こい性格のため、都会で飼育する場合、番犬にはあまり適していない。普段は鷹揚でゆったり、のんびりしているが、山に入ると鼻面を地面につけ匂いを嗅ぎながら素早い行動を見せる。

豊山犬の一番の特長は、虎や狼などの猛獣をも恐れない勇猛性と無尽蔵のスタミナ、圧倒的なパワー、最後まで戦う戦闘能力であり、飼い主への限りない忠実性である。

「一代一主」と言われるほどに、飼い主を慕い、他人に気を許すことがない。昔から「豊山犬2頭いれば虎が狩れる」と言われた。旧ロシア時代の貴族たちはアムール虎(朝鮮虎と同じ)のハンティングに、他の犬ではなく豊山犬を使ったという。

訓練された豊山犬は狩猟対象を認識すると、それが虎であっても吠えずに追跡を始める。

そして底知れぬスタミナと、並外れた胆力と勇気、大胆な動きで虎を追い詰め動けなくして、主人の猟師を待つ。虎との間に適度な間合いを保ちながら、目をそらさず、間欠的に吠え威嚇しながら追い詰めるのである。

大型の狩猟犬でも自分より大きく強い相手に出会うと目をそらしたり、尻込みしたり、小便を漏らしたりして、追うことはあまりない。豊山犬は瞬発力に優れ、怜悧で、狩猟対象を追うときは絶対に吠えず、最後まで追い、戦う生粋の名ハンターである。

朝鮮半島の犬にとって日帝植民地時代は、人々とともに受難の時代であった。10年に朝鮮を併合した日本は、31年に満州事変を起こし北方に進出し始めた。これに伴い、日本軍の防寒用の毛皮のために大量の犬や猫を殺した。

正確な統計がないので全体的なことはわからないが、44年2月に北海道では、「野畜犬供出促進運動」が始まり、12月には北海道道庁が各市町村に犬猫の供出量を割り当てる通達を出した。その結果北海道だけで犬皮1万5千枚、猫皮4万5千枚が集められた。

犬猫供出運動は日本全国で行われ、これによって殺され、犠牲になった犬猫の数はおそらく数十万単位になるだろうと思われる。

朝鮮の犬は日本国内以上に徹底的に殺された。日本の神社にある狛犬のモデルともいわれている、毛の長いサプサル犬は全国各地で飼われていたが、その長い毛が特に防寒用に最適ということでほとんど絶滅した。

済州島の済州犬、オス犬(全羅北道任実郡地方の原産)、プル犬(慶尚北道栄州地方原産)などの土着犬も絶滅寸前に追い込まれた。また日本から入った犬や洋犬たちとの混血の結果、ほとんどの犬は雑種化してしまった。

その中で全羅南道珍島の珍島犬と豊山犬だけがその命脈を保てたのは、彼らが暮らした人が容易に入れないような地理的条件と、総督府が日本の天然記念物に指定したことが背景にある。総督府は、日本犬(秋田犬、紀州犬など)に似た豊山犬と珍島犬の姿かたちを政治的に利用しようとした。

日帝統治下、朝鮮支配の基本政策の一つに「同化政策」がある。「同化政策」とは、朝鮮人の民族性を抹殺し、所謂「皇国臣民」たらしめんとし、「内鮮一体」を提唱し、朝鮮民族を根本から抹殺しようとするものであった。

朝鮮総督府は、「内鮮一体」、「同祖同根」を主張する意図をもって、これらの犬種を天然記念物に指定した。「日本と朝鮮は同祖同根である、人間も犬も同じだ」という論理である。

愛犬家の垂涎の的

豊山犬は20世紀末までは国外に出ることがなく、まさしく「幻の犬」だ。

2000年6月、南の金大中大統領夫妻が平壌を訪問した時に、金正日総書記から雄雌「ウリ」と「トゥリ」2頭の豊山犬が贈られたことで、その存在が公式に知られるようになった。日本でも02年1月、「プリンセステンコー」こと引田天功さんに雄1頭がプレゼントされ脚光を浴びた。

豊山犬の姿かたちは多様である。同じ犬種なのに毛の長さが違ったり、耳の形がちがったりする。これは豊山犬の成立過程に原因があるようだ。

長い成立過程で交わった色々な犬たちの特徴が現れるのだろう。

犬の姿かたちの統一は、10代くらいかけて目的とする遺伝子だけをつないで交配させれば可能である。しかし、豊山犬は姿かたちだけを愛でる犬ではない。

昔からロシア北部で飼われてきたライカ犬種はスタンダード(姿かたちで見た犬種基準)の幅が広い。実猟犬種であるため外見より能力重視の繁殖が続けられたからである。

豊山犬の繁殖もそのような経過をたどったために、姿かたちに多様性が現れるのである。

南朝鮮にも豊山犬はいる。1992年に慶尚北道浦項市在住のあるブローカーが、中国東北地方吉林省に住む朝鮮族が飼っていた白い犬を、豊山犬として輸入した。

豊山犬など虎狩りに使う獰猛な狩猟犬という噂しか知らなかった南朝鮮の愛犬家は、その「所謂豊山犬」を本物と信じて飼っていたのである。

これらの犬は、出所不明な国籍無き、孤児犬としか言いようがない。

正確な遺伝子検査をするならば、それらの犬の中に豊山犬の遺伝子を持った個体がいるのかもしれない。しかし端的に言って、00年6月に金大中大統領にプレゼントされた、「ウリ」と「トゥリ」の直系以外はその純血の信憑性が薄い。

私は17年間にわたり5匹の豊山犬を育ててきたが、都会で飼っていたせいか、本来の狩猟犬としての能力を発揮させることはできなかったと思う。しかしその片鱗は随所で見せてくれた。猫を噛んだり、ネズミを捕まえたり、草むらに入っていって亀を噛んで出てきたり。また、小さな犬にはやさしいが、自分より大きな相手には吠えもしないで飛びかかって捻じ伏せ、一歩も引かなかった。

大国米国の核恫喝に一歩も引かず、手玉に取っているわが民族の気質そのものである。現在朝鮮では国が豊山犬の飼育を厳重に管理し、徹底して純血を保護している。

受難の歴史を生き延びてきた、類まれな能力を持った豊山犬、愛犬家にとっては垂涎の的であり、わが民族の矜持である豊山犬の存在を、在日同胞の皆さんにも知ってもらいたいし、また誇るべきわが民族の宝として認識してもらいたい。

(金忠根、愛知県在住)

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